8/15 ねこ

 ちっとも冷たくありませんでした。
 見上げると、夏の空はあまりにも広くて真っ青で、いつ落ちてくるかも知れない、と思いました。

『ねこ』

 塾の帰り、まだ日は高く、眩しかったので、木陰を選んで歩いていました。するとそこで、一匹の黒猫が丸まっていました。
 一歩進んでも、二歩進んでも、三歩四歩と進んでも、動く様子はなく、寝ているか、暑さで疲れてしまっているんだと、急いで近寄りました。
 そろっと触ると、そわっとしていて、ぞわっと全身に嫌な感じがしました。
 猫は死んでいました。
 何で死んだのか、私にはちょっと分かりませんでした。とにかく、その猫の生暖かさが手に残っているのだけが、異常に恐ろしいことのように思えたのです。
 動物の死骸をどうするべきかなんて分からず、かといって、場所は道路の真ん中。放っておけばその猫がどうなってしまうか、かといって猫を退けるにも、あの猫を持ち上げたら、どうなるのだろうと、色々気になってしまい、立ち止まってジワジワと、セミの声に焼かれているような心地でありました。
 いよいよ頭が沸騰しそうになってきて、私は思い切って、この猫を端に寄せることにしました。
 私は色々我慢して、皮のとことか毛のとことかを少しずつ引っ張って、なんとか脇の植木のところまで猫を運んでいきます。
 すると少しづつ、猫が恐ろしいのより、重たさや、引っ張るのにかかる時間の方が気になってきました。
 この猫はたった今、『生きていたもの』から『もの』になろうとしているんだと思いました。
 えいと手のひら全部で押してみると、ずず、と少し早く動きました。そうこうして端まで寄せてみると、よっぽど近付いて触ってみるまで、これが猫だなんて誰も分からなそうな風になっていました。
 手のひらをぱっぱとやって、私も一歩二歩と下がってみると、ちょうど木漏れ日のキラキラに隠れて、どこに猫がいたんだか、分からない感じになっています。
 こうして、猫はものになりました。
 人は忘れられることで本当に死ぬ、などと言うけれども、実は最初から二回死んでいるのかも知れません。
 一度目は、病気やら事故やらで死んだ時。もう一度は、その死体が燃やされたり、埋められたりして、ほんとにものになった時。そして忘れられた時を含めれば三回ということになりますが、生まれるのは一度なのに三度死ぬなんて、酷いことだとは思いませんか。
 猫は、ちっとも冷たくありませんでした。
 見上げると、夏の空はあまりにも広くて真っ青で、いつ落ちてくるかも知れない、と思いました。
 それで思い出したのですが、今日は妹の誕生日だったので、早く帰らなければならないのでした。
 三回も死ぬのなら、毎年誕生日を祝ったって、なにもバチは当たらないでしょう。
 今日が妹にとって、何度目かの生まれた日になりますように。

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