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えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる

表題の本、すごい。
昨日、友達とチーズダッカルビを食べた。その友達とは年末にも会っており、その時に本を貸してくれた。チーズダッカルビの日になって気がついた。まだ本読んでない。急いで本を読むが間に合わない。ブログがまとめられた本であって、結構な量があった。だめだ、今日は返せない、明日読もうと決めた。友達が落ち込んだときにこの本をいつも読んでいると言っていたので、長いことこの本借りてても大丈夫なのか少し心配だったが、聞いたら大丈夫とのこと。仕事もひと段落し、落ち着いた生活を送っているみたいだったので、いろんな意味でよかった。

それで、今日、朝の8時から気合を入れて本を読み始めたのだけれども。
まず、前書きでこの作者が事故で亡くなっていることを知る。この本はブログの著者小山田さんがなくなるまでの日記らしかった。前書きを書いているのは小山田さんに大学在学中、TAを3年間してもらっていたという教授。この教授、前書きで、自分は小山田さんと知り合いだからこの文章を書いているのではなく、彼女が本当に才能ある溢れる人だからこの文章を書くことを喜んで引き受けたのだと書いている。この文章が象徴的だったから書いたけど、前書き、全体を通して非常に熱いものを感じた。

読み始めてみると、小山田さんの人柄が伝わってくる。マックがサラダを売ることが許せない変な勢い、レポート書かなきゃいけないが台所にいったら漂白をしたくなりせっかくだから黒いものを白くしたいと冷蔵庫の上を布巾で拭くなど本格的な風になっていくだらしなさ、同居する友人がご飯を炊くとき、いつも自分が炊くとき混ぜてる押し麦を混ぜないのは本当は白米が食べたいからであってずっと彼女が白米を食べたいと言いだせないのはどうしていけばいいか、みたいな豊かな思考。たまに原発や貧困などとの自分の距離や社会のおかしさに言及したりもしていて、本当にたのしい、おもしろい人だなあと思いながら読んでいた。そして本が終わりそうになって、この人が死んでることに改めて意識が向いた。ブログは書かれた順に並んでいて、読み進めるほど小山田さんの死に近づいていく。自分がもうすぐ死ぬなんて本当に全然想像してなかっただろうなと文章を読んでいて思った。だから最後のブログの文章もあっけなかった。

いやー・・・寂しい。小山田さんとは会ったことないし、大学の学部同じっていう共通点はあって、親近感を抱いたものの、それとは関係なく、この人がもう生きていないことが悲しい。この人が亡くなったの、惜しい。この人の書く言葉、必要な人多くいるんじゃないか。僕もその一人かもしれない本当に。

チーズダッカルビ食べた友達がどんな気持ちでこの本を読んで、どう思って急にこの本を僕に貸そうと思ったのかはわからないけど、ひとまず「よかったわ」とラインしといた。

今日は他にも映画観たり、仕事で習ったことの整理したり、家族でシュウマイ食べたりしたけど、この本でずっといっぱいだった。


#日記 #本 #雑記 #小山田咲子

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