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春の終わり、夏の始まり【完結】

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#BL小説

春の終わり、夏の始まり 1

晩秋の雨が窓を叩く音が、夜の静寂を破る。 唯史はリビングのソファに座りながら、ぼんやりと外を眺めていた。 最近、美咲の行動に変化が見え始めていた。 唯史が美咲と結婚したのは3年前、お互い26歳の頃である。 結婚当初の美咲はいつも明るく、仕事の話も積極的にしていたが、ここ数週間は様子が一変していた。 唯史が「今日はどうだった?」と尋ねても、「忙しかった」という一言しか返ってこない。 さらに詳しく聞こうとしても「特に何もないわ」と話をそらされてしまう。 美咲は広告代理店で仕

春の終わり、夏の始まり 14

同窓会が終わった後、2次会へと流れる者も多かったが、義之はそのまま帰宅した。 義之は、祖父から譲り受けた平屋一戸建てに住んでいる。 畳敷きに寝転がり、天井を見ながら、義之は唯史のことを考えていた。 「何があった、唯史……」 久しぶりに見る親友の姿は、中学時代から大きくかけ離れていた。 いや、見た目はそれほど変わっていないのかもしれない。 他の同級生は、唯史の変化に気づいていない様子であったが、義之は一目でわかった。 唯史はもともと、色白の美少年であった。 だが今の彼は、

春の終わり、夏の始まり 15

唯史も2次会には参加せず、まっすぐ実家に戻った。 母の佳代子が、客間に布団を敷いてくれている。 唯史はゆっくりと布団に身を横たえながら、義之からの提案である「帰郷」について、深く考えていた。 目を閉じ、自分の現在の状況を冷静に見つめる。 離婚してからの心の空洞、都会で感じる孤独感。 自ら断ち切った人間関係、職場でのプレッシャー…… これらの要素が積み重なり、唯史の心身は明らかに疲れ切っていた。 「義之が言うように、いっそ何もかも投げだして、こっちに帰るのも手かもしれない」

春の終わり、夏の始まり 16

4月の終わり、唯史はこれまで勤めていた会社に退職届を提出した。 その決意は固く、新しい人生を歩むためには、今の環境から離れることが必要だと、強く感じていたからだ。 しかし、上司は唯史の能力とこれまでの貢献を高く評価しており、また状況の変化も理解していたため、退職ではなく大阪支社への異動を提案した。 唯史もそれなら、と異動に同意し、ゴールデンウィークを利用して住んでいたマンションを引き払うことにした。 とりあえず実家に身を寄せることにし、家財道具などはすべて処分することに決

春の終わり、夏の始まり 17

東京での生活に別れを告げた唯史は、南大阪の実家に戻った。 新たな勤務地でる大阪支社への通勤は実家からでも十分可能で、唯史は両親の温かい支えを受けながら、少しずつ新しい環境への適応を図っていった。 大阪支社への仕事にも徐々に慣れ、食事もきちんと摂るようになった。 以前よりは健康的な生活を送ってはいるが、離婚のダメージは未だ唯史の心に影を落としている。 美咲の不倫・離婚による自己否定のトラウマは大きく、なかなか抜け出せそうにはない。 そんな中、かつて同窓会を行った居酒屋で、唯

春の終わり、夏の始まり 18

その日の、夜。 義之は唯史が本格的に帰郷した喜びにひたっていたが、内心は複雑なものがあった。 中学時代、義之にとって唯史はただの友達ではなかった。 あのクラス写真撮影の日、桜の花びらが唯史の黒髪に舞い落ちた瞬間、義之の心は強く動かされた。 その美しい光景は、今も義之の記憶に鮮明に残っている。 中学3年生の夏が訪れる頃、唯史への想いはさらに強くなっていた。 唯史のちょっとした表情、仕草、セリフ、すべてが義之の心を揺さぶった。 だが義之は、恋愛というものを理解していなかった。

春の終わり、夏の始まり 19

結論を出した義之の行動は早かった。 翌日は平日であったが、「急で悪いけど話がある」と唯史にメッセージを送信した。 ほどなく唯史から「OK」との返事があり、唯史の勤務が終わった後、自宅近くのカフェで落ち合うことに決めた。 先に到着していた唯史に合わせ、義之もアイスコーヒーを注文する。 5月中旬、そろそろ冷たい飲み物が欲しい季節だ。 運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲んで、義之は切り出した。 「唯史、前に実家出て部屋見つける、て言うてたやん?」 「うん、いつまでも実家の世話に

春の終わり、夏の始まり 20

義之から同居の提案を受けた夜。 唯史は部屋の灯りを落とし、窓際に座って月明かりを眺めながら中学3年生の頃の自分を思い返していた。 窓から柔らかな光が部屋に差し込み、唯史の記憶の中にも淡い光を投げかけていた。 あの頃の唯史は、その整った容姿から常に注目され、それが重荷になっていた。 同級生たちはその見た目を称賛する一方で、内面を理解しようとはせず、表面的な関係に唯史は疎外感を感じていた。 しかし、義之は違っていた。 義之は外見を超えて、唯史の内向的な性格を受け止め、理解して

春の終わり、夏の始まり 21

6月に入った、最初の週末。 唯史は義之の自宅へと移り住んだ。 唯史の荷物は、それほど多くはなく、衣類少々と愛用のノートパソコンのみ。 これまでの生活で多くの物を手放してきたことを物語るように、その荷物は小さなスーツケースに収まっていた。 義之の自宅は、祖父から譲り受けた平屋一戸建てである。 唯史のために用意された部屋は和室で、壁際には座卓と座椅子が置かれている。 部屋の隅には、洋服をかけるためのハンガーラックも用意されていた。 「必要なものがあったら、また買いに行こう。

春の終わり、夏の始まり 22

6月第1週の末、唯史と義之は近場の公園に出かけた。 広々とした敷地は自然が豊かで、池や遊歩道、ベンチが整備されている。 あいにくの曇り空であったが、時折風が吹くと木の葉がさわさわと音をたてていた。 花壇には色とりどりの花が咲き乱れ、歩いているだけで心が癒されるような雰囲気だ。 まず二人は、人気の少ない遊歩道を歩くことにした。 唯史は先日借り受けたカメラを、義之も愛用のフルサイズカメラを首からかけている。 「とりあえず、好きなように撮ってみたらいいよ。要はモニター見ながらシ

春の終わり、夏の始まり 23

初めて公園で写真を撮ってから、唯史の写真への興味は深まっていった。 義之はそれを見逃さず、構図の決め方、光のとらえ方、被写体との距離の取り方など、写真の基礎を少しずつ教えた。 梅雨の晴れ間を狙って、唯史と義之はカメラを持って色々な場所を訪れていた。 特に、寺社の静寂と荘厳に魅力を感じた唯史は、その美しさを写真に収めることに夢中になっていた。 「唯史、ここの光がいい感じになってる」 義之が指摘すると、唯史はモニターをのぞき、シャッターを切る。 寺の石段に映る光と影、苔むし

春の終わり、夏の始まり 24

7月第1週、週末の朝。 澄み切った青空が広がり、真夏を思わせる日差しが降り注いでいる。 義之が運転する軽自動車に乗り込んだ唯史は、これから始まる旅への期待で心が高鳴っていた。 「よし、行こか」 旅に必要な荷物を積み込んだ義之は、車のエンジンをかける。 車は軽自動車だが、後部座席を倒し、たくさんの荷物が積めるようになっている。 1泊2日の旅行計画で、まず目指したのは奈良県・十津川の「谷瀬の吊り橋」であった。 まず、和歌山県北部から奈良県に至る京奈和自動車道を走る。 車窓から

春の終わり、夏の始まり 25

16時ごろ、宿泊する旅館の駐車場に到着した。 ここから旅館のバスに乗り、勝浦港の桟橋へと向かうのだ。 旅館は勝浦湾に突き出す半島に建っており、桟橋からは専用の船で移動する。 「さっきまで山の中やったのに、今は海の景色なんやなぁ」 唯史が目を輝かせる。 青い海が広がる中、船はゆっくりと桟橋を離れた。 海の向こうに、「紀の松島」の島々が点在している。 夏の青空、紺碧の海、そして荒々しい島の断崖。 唯史は夢中でカメラのシャッターを切っていた。 その様子に、義之が温かい目を向ける

春の終わり、夏の始まり 26

その日の夜も更け、窓の外には満点の星が広がっていた。 静かな部屋の中に、波の音がわずかに響いている。 義之と唯史は、酔いも手伝って、深い眠りに落ちていた。 が。 かすかな気配に、義之が目を覚ます。 「ん……?」 エアコンの効いた部屋の中、体に感じる温もり。 唯史が、義之の体に抱きつきながら、よく眠っている。 「唯史…寝ぼけたんか」 苦笑して、義之は子供をあやすように、とん、とん、と唯史の背中を軽くたたく。 安心したのか、唯史はぎゅっとしがみついてきた。 「しんどい目にあ