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小説「坂の上の春」その1

僕は基本的には脚本家です。

その僕が、ある朗読公演のために書いたのが、この短編です。

小説といっていいのか分かりませんが、殆ど読まれることなく、長いこと自分の演劇ユニットFavorite Banana Indiansのサイトの隅に眠っていました。

せっかくなので、ちょっと恥ずかしいですが、ここで紹介してみようと思います。

書いたのはもうかれこれ15年近く前になるでしょうか。基本的には書き換えはしていません。

少し長いので、何回かに分けることにします。

もしよかったら、感想などお知らせいただけると嬉しいです。



「坂の上の春」

1

いつの間にか、少女は懐かしい坂の下に立っていた。
どこからどうやって歩いてきたのか忘れてしまったが、とにかく目指していたのはその坂だった。
坂の下の道を曲がって少し行った所に、少女の小さな家があった。
周りの家はみな二階屋なのに、少女の家だけは平屋建てで、目の前には空き地があった。
それでも小さな花がたくさん植わっている狭い庭を、少女はとても気に入っていた。
その家から坂の下までは、少女の足でも5分とかからない。
ただ、その坂はとても急だったので、一番上に何があるのか、下の方からは見通せなかった。

少女はいつもこの坂を上ろうと思って、その下まで来て足を止めた。

「あの坂の上には何があるの?」
少女は母親にそう尋ねたことがある。
すると母親は優しい微笑みを浮かべながら、
「あの坂の上にはね、『春』があるんだよ。」
と答えた。
「へえ。じゃあ、春さんは坂の上から来るんだ。」
「そうよ。あの坂の上で、冬の間中ずっと待っていて、もうみんなが寒さに我慢できなくなった頃を見計らって、あの坂を下りてくるの。」
「そうだったんだ。」
「そして、花が一通り咲いて、緑の出番が来るとね、春さんはまた坂の上に帰って行くのよ。そして、1年間お休みしているの。」
「じゃあ、夏も、秋も、冬も、あの坂の上から来るの?」
「ううん、違うわ。坂の上から来るのは、春だけ。」
「ねえ、坂の上の春を見に行こうよ。」
「そうね。春さんが『おいで、おいで』って言ったら行こうね。」
「約束だよ、一緒に行こうね。」
「約束ね。」
そう言って、少女と母親は小指を絡めた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます、指切った!」
2人の小指は離れた。

あれから何日経ったのだろう。
お母さんはおつかいに行ったきり、帰ってこない。
もしかすると、一人で春さんのところに行っちゃったのかもしれない。私のことを置いて。
「約束、破ったのかな。」
少女は、そう独りごちした。
「ううん、そんな筈ない。私のお母さんだもん。」
少女は母親を待つことにした。
でも、家に帰ってしまったら、何だかこの坂自体がなくなってしまうような気がした。
その前に、坂の上から春がいなくなってしまうようにも思われた。
「先に行ってようかな…」
少女は、坂を上り始めた。

(つづく)

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