アディショナル・タイム⑦

「セツナ、いま君は何をしようとした?」
新谷の前で憤慨しているアト。睥睨する彼女の目は、燃え盛る炎すら凍てつくような、そんな冷たさだった。先ほどまで沙良の部屋にいたはずだが、景色が変わっている。だが、新谷には見覚えのある風景でもあった。そう、ここは初めてアトと出会った、あの空間。遥か彼方まで、純白に包まれた、あの広大な空間だ。
「えっと……。俺は……本当のことを打ち明けようとして……」
「……あのな、真実を伝えたところで、彼女に信じてもらえると思うか?」
「それは……」
「まあ、いい。明言しなかった私にも落ち度はある。しかし、こんなに早く切り出すとは想定外だったぞ」

新谷は、沙良の想いに堪えかねて、自らの秘密を告白しようとした。それは突発的な衝動であって、彼女がそれを信じるかどうかは問題ではなかった。ただ、自分が、新谷刹那が目の前に存在していることに気づいて欲しかっただけなのだ。
「今後は、君が第三者に自らの正体を明かすことを禁ずる。今回のように、その度にこうして説教するのも骨だ。だから、こうしよう」
そう言ったアトは、新谷の心臓目掛けて右手を突き刺した。突然のことに、新谷は反射的に目を閉じる。だが、不思議と痛みは感じない。彼女の腕が引き抜かれた後も、傷も出血もまるで無かった。
「君に、制約を施した。まあ、一種の呪いのようなものだ。君が今後、自らの正体を明かそうとしたとき、この呪いが君の心臓を握り潰す。死と引き換えに、真実を話すのなら結構。せっかく拾った命を、無駄にしたいなら勝手にすればいいさ」
どこまでも性格の悪い神だ、と新谷は思った。いや、神様なんかじゃない、こいつはきっと悪魔の類か何かだ……。そんなことを考えていると、彼女はくすくすと笑い始めた。新谷は、怪訝な表情でそれを見つめている。
「悪魔? 私が? 悪い冗談はやめてくれよ、セツナ。あんな下賤な奴らと一緒にしないでくれるかな。全く、どこまで私を愚弄すれば気が済むのか……君は本当に面白いな」
「アンタには、全てお見通しってわけかよ……」
「ああ、そうだ。せいぜい私の手のひらで踊ってくれたまえよ、人間」
アトの指がパチンと鳴らされた、次の瞬間。
「……ん! ……さん! 古川さん!」
新谷の意識は、元いた沙良の部屋に戻ってきていた。
「古川さん、大丈夫ですか? 突然ボーッとして……」
「あ、ああ! すみません。ちょっと寝ぼけちゃってました」
「あの、それで……何か言いかけてましたよね?」
新谷は、アトにかけられた"制約"を思い出して、無意識に胸を押さえた。
「いや、何でもないです。忘れてください……」
「……そう、ですか。きっと、言いにくいこともありますよね。あの、もし話せるようになったらでいいので、遠慮なく言ってくださいね。私、待ってますから」
それは、沙良の持つ、生来の優しさから来る言葉だった。新谷は、そんな沙良のことがたまらなく愛おしく思えた。彼女は、彼が幼少期からずっと想い続けてきた幼馴染。初恋の人なのだ。
「好きだ」
その強すぎる想いは、自ずと彼の口から漏れ出てしまっていた。
「……え?」
沙良は、思考の埒外から鋭角に撃ち込まれた言葉の弾丸に、当惑するしかなかった。
「ええっと、今のは間違ったというか、何というか……」
慌てて取り繕おうとする新谷。
「ご、ごめんなさい! さっき刹那に似てるって話をしたから、勘違いさせちゃったのかな。あの、古川さんとは、友達でいさせてください……」
一度ならず二度、彼は同じ女性に振られた。その事実が、両肩にずっしりと重くのし掛かる。
「も、もちろん! 友達として、好きということで!友達として仲良くさせてください!」
「そうですよね!友達としてですよね! もう、びっくりしましたよ」
「当たり前じゃないですかー。やだなーもうー」
新谷は、自分でも驚くくらいの棒読み加減に、少し笑いそうになった。沙良は、やはり優しい。こんな自分にも、こうして笑顔で接してくれるのだから。せっかく拾った命だ。もう、無駄にはしない。これからは古川大数として生きていくのだ。まずは、友達から。少しずつ、やっていくしかない。彼は、そう覚悟を決めた。
「古川さん、これからよろしくお願いしますね」
彼女は不敵な笑みを浮かべながら、そう言った。まるで、あの性悪女神のように──。

§

幕間Ⅰ

あの日、俺は何かに取り憑かれていたような気がする。確信はない。あくまでも、そう思うだけだ。

あの日まで、何度も何度も、俺は死にたいと思って生きてきた。だが、死のうとしたことは、一度もなかった。それだけの勇気を、俺は持ち合わせていなかったからだ。

そして、もう一つ。俺はひたすらに、踠いていたのだ。死にたいと思う反面、どうしても生きたかった。このままでは死ねないと思っていた。矛盾しているように思うかもしれない。だが、こんな無意味な人生に、何か一つだけでも、爪痕を残そうと必死に足掻いていたのも、また事実だった。
しかし、あの日の俺は違った。まるで、何かに導かれるかのように、どこまでも深い闇へと身を投げた。あれは、間違いなく俺の意思だったはずだ。あの時の自分の思考を思い出すことが、どうしてもできない。まるで靄がかかったかのように、不明瞭なままなのだ。

考えても考えても、導き出せない結論。次第に、そうなる運命だったのだと考えるようになった。まるで、自らに言い聞かせるように。そして、アイツに出会ったのも、運命だったのだと。
ならば、俺はこの運命を全うしよう。
再び授かった生を、今度こそ、後悔のないように……。

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