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時間を0.1秒だけ止められる男の話

 俺には、ある"能力"がある。それは、時間を止める力だ。夢のような能力だと思うだろう。ああ、羨んでくれてもいい。だが、過ぎたる能力というのは、往々にして、それに応じた「代償」がつきものだ。俺の力も例外ではない。時間を止められるのは――たった0.1秒だけ。

 しかも、一度時間を止めると、次の日とてつもない筋肉痛に襲われる。それだけ?と思うかもしれないが、これがめちゃくちゃきつい。ギリギリ日常生活は送れるが、数日間は何をするにも、その痛みが付きまとう。

 たった0.1秒の代償としては、重すぎるのだ。リスクに対して、単純にリターンが見合っていない。小学生でもわかる話だ。

 昔、一度だけ限界に挑戦したことがある。連続で能力を発動して、どこまで時間を止められるか、という実験。この能力の持つ意味を、俺は知りたくなったのだ。ある程度の時間を止められるのなら、それ相応の対価を支払ったとしても、使い道が出てくるだろう。そして俺は好奇心に駆られるがまま、実験を開始した。

 0.1……0.2……まだだ、まだ大丈夫……。0.5秒止めたところで、激しい眩暈に襲われて、その場に倒れそうになった。1秒止めた時点で、頭が粉々に割れそうなほど痛くなって、そこで実験はやむなく中断した。たった1秒、時間を止めた程度では、出来ることなどほとんどないだろう。俺の持つ能力に実用性は皆無だった。少しずつ冷静さを取り戻していくにつれて、興奮が恐怖へと変わっていった。明日襲ってくるであろう反動。俺は、一体どうなってしまうのだろうか――。

 そして次の日がやってきた。目を覚ました俺は、すぐ違和感に気づいた。目の前にある物の、距離感が掴めない。両目を見開いたまま、右目を手で覆ってみた。すると、目の前が真っ暗になった。

 そう、俺は代償として、左目の視力を失ったのだった。

 これが、俺の持つ能力と、それがもたらした罰。左目が光を失って以来、俺は時間を止める力は使っていない。

§§

 あれから10年が経った。俺はそこそこの大学を卒業して、そこそこの企業に入った。左目が見えないことで、日常生活の中で不便を感じることもあったが、10年も経てば、もうそれが当たり前になった。人間の適応力には驚かされる。

 今に至るまで、俺の持つ能力のお陰で得したことなど、一つもなかった。どんな状況でも、左目に手を翳すだけで、あの日のことを嫌でも思い出してしまう。本当に忌々しかった。事前に知っていれば、誰もあんな無謀なことはしなかっただろう。ただの好奇心、出来心だ。そのせいで、俺は視力を失った。神様がもしいるのなら、きっと性格の悪いやつに違いない。

 自宅と会社を、ただただ往復するだけの日々。繰り返されるだけの日常。周りを見れば、幸せそうなカップルや家族で溢れている。だが、俺には何もない。あるのは、俺に不幸をもたらすだけの能力。世界は、どうしてこんなにも不平等なのだろうか――。

 そんな中でも、時間だけは残酷なほど平等だった。なにもしなくても、時計の針だけは正確に刻まれていく。

 ふと、腕時計を見てみると、電池切れで止まっていた。そこではっとする。

 目を閉じて、俺はそっと左目に触れた。

 いや、違う。俺が、俺だけが、その不条理な時の流れに逆らう力を持っているのだ。進み続ける世界の中で、俺だけが許された"停滞"。

 もしかしたら俺は、大きな勘違いをしていたのかもしれない。確かに、この力のせいで俺は不幸になった。だが、この能力は俺にしかないものだ。言い換えれば個性。もしかしたら俺は、俺という存在全てを投げ打つことで、何かを残せるかもしれない。この世界を変えることだって――。

 一瞬、そう思ったが、すぐに思い直す。なにを馬鹿なことを。俺の力は、1秒で失明する欠陥品だ。そんな力で大それたことをできるはずがない。俺は、かぶりを振って、逃げるように眠りについた。

§§

 明くる日の朝、俺はいつも通り会社に向かっていた。足取りは重い。逃げ出したくなる気持ちを理性で押さえつけ、俺は歩を進める。最寄駅への道中、ランドセルを背負った少女が母親と思しき女性と歩いている姿を見た。

 ああ、今日は入学式か――。

 そんなことを考えていると、ガラガラガラン!と、鈍い金属音が頭上から聞こえてきた。視界を上にやると、目の前で歩いていた親子の傍に建っていたビルの屋上から、鉄骨が地上に降りそそいでくるのが見えた。悲鳴が辺りに響き渡った。

 すると突然、世界から音が消えた。無意識のうちに、俺は”能力”を発動させていたのだった。今の俺には、後悔する時間も、逡巡する猶予も与えられない。目の前の命を救うことだけに全力を尽くす。

(欠陥だらけの能力が……ッ)

 現場までは残り10メートルほど。もう頭が粉々になりそうだった。全身の血が沸騰しそうなほどに熱い。能力を発動してから既に5秒は経つだろう。だが、後先など考えていられなかった。能力を酷使した俺の末路のことも。自身の将来より、目の前の命が失われるのが、少女の未来が、母親の希望が奪われてしまうことが、今の俺には何よりも許せなかった。

 1秒1秒が、気の遠くなるような時間に思えた。身体はもう限界だった。ところどころの血管が破裂して、全身は血まみれだ。10秒が経過した。霞む視界の中で、意識が途切れないようにだけ努めた。俺は親子をしっかりと抱きかかえ、安全な場所まで連れていった。その瞬間、俺はその場に崩れ落ちた。
 そして、停滞していた世界が動き出す。俺の背後で轟音が響いた。あわや大惨事という事態は、なんとか回避できたようだった。

「あ、ありがとうございます……」

「おじちゃん、ありがと……」

 感謝の言葉と、誰かの嗚咽が微かに聞こえたが、俺にはもう何も見えてはいなかった。だが、それでもはっきりと分かったことがあった。

 俺のこの”能力”は、きっとこの瞬間のために――。

§§

 あれから俺はなんとか生きてはいる。だが、もう両目は視力を失い、身体も指先を動かすのがやっとだ。これが、過ぎたる能力の「代償」。

 しかし、得たものもあった。

「おじちゃん!きょうはね、よみきかせしてあげるー」

「もう、病室では大人しくしなさい! すみません、いつも」

「いえ、いいんですよ。元気すぎるくらいで、丁度いいんです。今日は、どんなおはなしを聞かせてくれるのかな?」

「とってもかっこいい”ヒーロー”のおはなし!」

 俺の両目は光を失ったが、瞼の裏にはいつでも光が視える。

 俺の人生も、能力も、決して無駄ではなかった。かけがえのない希望というものを、確かに残すことができたのだから。

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