創作エッセイ(23)自作「青空侍58 ~人生はボンクラ映画」のあとがき

(2017/03/07 リリースのKindle版より)

人生はボンクラ映画

あとがき

 私は専業作家ではないため多くの作品を書いてきた方ではない。それでも会社員生活の合間に書いた作品を四冊の電子書籍としてリリースしてきた。
 その中には、自分をモデルにした自伝的作品もある。
 一番最初は、「神様の立候補」で、これは衆議院選挙を舞台に新聞の選挙広告取材の裏側を描いたビジネス小説である。
 広告会社時代の三十代前半の作品で、エンターテイメント小説を書いていてもなかなかコンテストで入選できず、どうして俺は最終候補止まりなんだと焦っていた時代。
 次は、「自転車の夏」で、これは大学の少林寺拳法部時代の一夏を描いた青春小説である。三十代の中盤であった。
 この作品は、すでに「神様の立候補」で佳作入選をした後で、自分の能力にある程度の自信がついた後の作品。
 それまで本能で書いていた小説について、書きながらいろいろな技法的発見があった。無意識の「語り」を「意識化」して再検証しながら書いたわけである。
 自分の体験を元にしているため、キャラ造形や舞台設定に頭を悩ますことなく、「語り」に徹することができたので、技術的にも勉強になったのだ。

 今回の「人生はボンクラ映画」は、自分をモデルにした三本目の作品である。
 「自転車の夏」からは二十三年ぶりだ。小説を書くこと自体、八年ぶりである。
 実は、三十代の後半から、うつ病になったため、作品を書くどころか、会社員を続けることすら困難な状況だったのだ。
 四十代の最後には、心が折れて休職も体験した。五十三歳で会社を退職し、その後色々な職に就きながら現在に至っている。
 年収は会社員時代の三分の一、妻の収入に支えられている体たらくである。
 バブルの頃に、軽佻浮薄な「広告会社の営業」を勤め、メンタルヘルスが話題の頃に「うつで退社」し、非正規雇用が問題の今、「派遣社員」をやっている。
 かたや、かつての同期が役員などをやっているのに「落ちぶれた下流老人」的な気持ちになりそうなのだが、意外にも「俺って、ある意味、いつもトレンドの中心にいたわけね」と苦笑いする余裕があり、自分でも驚いている。
 うつの最中は、「うつで会社を辞めざるを得なかった」と感じていたのが、今は「うつのおかげで会社を辞めるきっかけができた」と考えている。
 周囲の環境や状況は、何一つ変わっていないのだが、私の心のスイッチが切り替わっただけで、ここまで変われるのであった。
 この作品、「人生はボンクラ映画」は、この私の「心の軌跡」を描いたものである。
 五十代は、会社員人生ではゴールが見えてくる時代で、子供も離れていくし、夫婦関係も静かな時代になってくる。心を病む人も少なくないと思う。そんな人にこそ読んでもらい、「人生なんて、なんとかなるな」と思ってほしい。
 過ぎた過去や失敗を、苦笑いしながら受け入れることができるようになると、ありのままの自分を許せるようになる。今現在の自分を、「まんざら嫌いじゃないんだよ」とうそぶけるようになると、「人生なんてなんとかなる」と思えるのだ。

(2023/10/15 追記)
 実は最近、私がうつになった原因の一つは、自己肯定感の低さにあるということに気づいた。私の父は、めったに子供(私)を誉めない人だった。学年で7位の成績を「なぜ1位じゃないんだ」となじる。4位に上がっても「まだ上に3人いるじゃないか」と肩を落とす人だった。旧帝大を卒業した父は己と比較して息子(私)の鈍さが許せなかったのだろう。
 そのため私は小中学校の義務教育期間、親や先生から褒められることを第一に生きてきた「優等生病」になった。自分の中に、自己評価が存在せず、他者の評価でしか自分の価値を確認できないのだ。
 それが顕在化したのは高校へ進学した時だ。高校は県下でも有数の進学校で、しかも自由な校風。昼食時には外へ外食に出たりしてもおとがめなし、制服も自由という、まるで大学のような雰囲気だった。
 入学した最初の4月、数学Ⅰの教科書を春休みの間に半分ほど済ませて意気揚々と登校した私は、放課中に教室の同級生が数ⅡBの教科書を解いているのを見てびっくりした。彼曰く「趣味なんだ」とのこと。他にも英語とは別に、趣味でフランス語を勉強しているやつ等、とんでもない連中が目白押しで、田舎の中学の優等生だった私は初めて「その他大勢」のモブキャラになったのだ。

 大学受験でも就職活動でも、親や他人の目線を意識してきた私は、いつも周囲の期待に応えられないダメ人間なのだと強く感じ続けていたのだ。
 そんな自分の中で、小説を書くという行為だけは、だれからも強制されず期待されず、自分ひとりの力で戦える唯一の分野だった。
 気が付くと、どんな趣味よりも長く、会社員生活よりも長く、結婚生活よりも長く小説と付き合ってきたことに気づいた。
 自身の数少ない栄光体験は公募の端っこへの入選だった。その時も父は、「まさか表彰式、会社休んで行くんじゃないだろうな?」とまで言っていた。もうそのころは、父の影響下から抜けていたので、苦笑いでスルーしていたが、自分の自己評価の低さは自覚していた。そんな自分を観察していた。その自己評価の低さが勤務先でも自分をさいなみ続けた。どんな仕事をしていても、自分の満足いく結果ではなく、本当の自分の力を発揮できていない感覚。それにプラスして、同居している両親からかかる子育てへのプレッシャー。何しろ両親は「元・教員」なのだ。
 そうして私はうつになった。

 ただ、うつになった時、私の作家目線が救いになっていた。うつの自分を客観的に観察しているのだ。苦しくて辛いのだが、決して死のうとは思えなかった。心の端で「いつか、これネタにして書こう」と思っていた。
 うつになって勤務先をやめたからこそ出会えた人たちもいる。回り道をしたのではなく、回るべき道だったのだ、と思えるようになった。
 この作品は西森元という名義で書いた作品だが、この心の軌跡を笑いで描いたものである。
 大笑いしながらお読みいただきたい。

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