創作エッセイ(55)ハードボイルドの掟

先日「そして夜は蘇る」を読んだ勢いで、大好きなハードボイルドについて語りたくなった。今回は、そんな話。

ハードボイルドものの特徴

 まず主人公は屈折してる。出世や家族愛や友情などという世間のしがらみとは無縁で自由だが、基本仲間はずれである。そのおかげで、穿った見方や、囚われない見方が出来る。
 そして、基本的に一人称、または一人称視点の三人称で語られる。そこで独特の文体で書かれることになる。

ハードボイルド作品は「語らず」に「描く」

 私の創作モットー「説明するな描写せよ」とか「説得するな気づかせろ」は、まさにハードボイルドを読んだり書いたりして気づいたことである。
 この書き方の元祖はアーネスト・ヘミングウェイと言われている。簡潔文体と呼ばれていて、ダシール・ハメット(サム・スペード)、レイモンド・チャンドラー(フィリップ・マーロウ)などに続く系譜の原点である。
 特徴はキャラクターの感情や気持ちを直接書かないこと。書かないけど読者は気づくように書いているわけである。

例文1)
「平気よ」と娘は言った。
 俺から目線を外すと、窓の外を見て小さく微笑む。その目元に涙が浮かんでいるが、俺は気づかないふりをした。その程度の思いやりは俺にもある。
※悲しいとか、同情するとかの湿った感情は「言葉で語らず、代わりに映像で描く」のだ。
例文2)
 どこへ行っても聞こえてくるクリスマス・ソング。12月に入ったばかりなのにセントラルパークのモールはもうサンタクロースが跳梁跋扈する幸せの魔窟と化していた。
※クリスマスを「幸せの魔窟」と呼ぶことで、語り手の屈折した心理と諧謔を描く。視点者の心象を情景に重ねることで、視点者の気持ちや感情やキャラクターを描くのである。普通の人が楽しいと感じる光景を主人公はこう見てる、ということでキャラを読者に伝えるのだ。
 これを、
 出世競争からドロップアウトした俺には、クリスマスの喧噪もくそ食らえの気分なのだ。 と直接書くのはちょっと泥臭いなと感じるのがハードボイルド仕草なのだ(苦笑)

書かないからこそ心に響く

 感情を抑えて書いてきた作品だからこそ、ここぞというところで感情を描くと読者に刺さることになる。これは作劇上での「ため」の一つとして使える。
 最後まで感情を語らずに、読後感で読者に気づかせる、という方法もある。声高に共感を求める作品より、読者には深く刺さるのだ。

事物の相対化に繋がる客観視

 この文体は、とことん「客観的」でもある。多くの作品で主人公の探偵は世間に対して斜に構えているアウトサイダー(コリン・ウィルソン風)だが、同時に自分自身にも皮肉な目を向けていることが多い。
 この自分自身をもネタにして皮肉な目を向ける存在である。これは正に作家自身に他ならない。
 そうだよ、ヘミングウェイの短編作品でも、主人公はニック・アダムスという彼自身の分身だったではないか。
 一つの事件や、悲劇に対して、裏から見れば~でもあるという相対化。敵対する相手にも原因となる何かがあったという気づきなどは、この客観的で冷ややかな、言葉を換えれば冷徹な目線だからこそ描けるし気づけるのだ。

(追記)
 文中の例文は、書きながら即興で描いたシーンである。
 この程度でハードボイルドを語りやがって、という声が聞こえてきそうだが、それを恐れるほどの繊細さは、残念なことにもう俺にはない。(おお、この語り、ちょっとハードボイルド!)

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