創作エッセイ(16)傘どろぼう

(2012年 09月 18日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)
雨が降っていて、思い出したことがある。

私は、今までの人生で3回、傘を盗まれている。
すべて、以前の勤務先の社内で盗まれている
盗むというのは大げさで、たまたま雨が降って傘がなかったので持っていったのだろうと思われる方もあるだろうが、それは間違いなく泥棒なのである。
3回目の時などは、コンビニで買った傘を二時間後に盗まれた。

傘を盗まれて困っていると、周囲にいた同僚や上司は、「君も、そこらの傘を借りればいいよ」と平然と言った。
「そうすると、無断で私が借りた傘の持ち主は、私と同じように困るし不快な思いをしますが」と私。
「その人も適当に持っていけばいいよ」
そこで私は気づいたのである。

この会社は、上から下まで、傘泥棒を是とする集団なのだ、と。

私にとって、人の傘を無断で借りるということは、非常に「卑しい」行為なのである。そして、子供のころから「卑しいことをするな」と教育された私は、とても周囲の勧める泥棒をすることができず、結局、雨の中コンビニへ走り、その日2本目の傘を買ったのであった。

勤務先では、人事評価などで、社員のモラルや行動基準などを事細かに評価されたが、その評価する連中に対して、「他人に対して評価をするなら、まず社内の泥棒を失くせよ」と反感をもったものである。

このような事例は、おそらく私の以前の勤務先だけではないだろう。日本の社会全体がこうなのだ。
まったく、卑しい世の中になったものである。

(2023/10/1 追記)
スポーツの世界では、競技のルールブックに明記されていなくても守るべきスポーツマンシップというモラルがある。ところが、世界にはルールに書いてなければどんな行為も問題ないという考え方をする人もいる。
また、国によっては、要領よく法をすり抜けることを賞賛する社会もある。
これも私にとっては卑しい行いだと思う。

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