創作エッセイ(15)人間観察、上司、ボス、マネージャー

人間観察は創作のためのインプットでもある

(2012年 11月 13日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)
 自営業のバイク運送ライダーになって、ちょうど一年経った。
 思えば、大学を卒業以来30年間、企業の一社員として生きてきた。
 今日、高速道路で配送中に、過ぎた日々を思い出しながら、企業内で、部下を持つ上司、ボス、マネージャーについて考えた。

 30年間のうち最初の2年は、普通の商社に勤務して、東京に住んでいた。残りの28年間は、地元の名古屋圏に戻り、広告会社の社員として過ごした。多くの方を自分の上司として戴いてきた。
 28歳から、社内制度が変わる35歳までは、部下を持つ身分にもなった。
 色々なボスがいたが、人間の器や包容力という面に惹かれて、ついていきたいと思えた方は、たった一人。その方には、仲人をしていただいた。
 彼が退社されて以降のボスは、保身が見え隠れする人が多かった。これは社内風土もあるだろう。
 有能な方もいたが、あるきっかけで、その方に対する敬意も冷めた
 そのきっかけは、社に出入りの業者の新担当に対して、最初の対面の段階で、力関係を認めさせるために、言葉尻をとらえて、激怒したことがあったのだ。
 当然これは、猿山のボス猿が若い猿に上下関係を実感させるための示威行為と同じ、人間関係の一種の小芝居である。
 人間社会の中ではこのような行為も珍しくはないし、そのことに目くじらを立てるほど私も甘くはない。
 ただ、彼が、この小芝居に対して、多少なりとも「恥」や「てらい」を感じているならば、私も冷めることはなかったろうが、どうやら彼は、「社会とはこういうものなのだよ君たち」とでも言いたげな、なんというか、「どんなもんだい」とでもいう、得意気な心が感じられたのだ。それに私は醒めたのだ。
 こんなことは、社会では当たり前のことで、むしろその有能さを称賛されるであろう。
 ただ、有能でも、その方法が好きにはなれないのだ。

 私は、ボスや上司には、有能さや剛腕さもさることながら、まず第一に人間的な魅力、他人に対する包容力。人間としての品格を求めてしまう。
 私は、決して有能な部下ではなかったが、その私を120パーセント活かした上司も一人はいたのだ。
 残念なことだが、その方の退職後、理想とするようなボスには出会うことなく、私の会社員生活は終わったのだった。

(2023/10/01 追記)
10年近く前の記事だが、今でもこの気持ちは変わらない。
高齢者になって、周りのコミュニティが高齢者ばかりになると、現役時代の勤務先での権威など関係なくなるのだが、ここぞとばかりにいろいろなネタでマウントをとり始める方を散見するようになる。
これもみっともない。他山の石というか自戒のネタというか、色々観察しては「ああはなるまい」と反省している。そういった人間観察の積み重ねで、物語内で色々なキャラを描けるようになった。また、会話のシチュエーションなどもストックできた感がある。
日常を生きていくことは、まさに創作のインプットに他ならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?