創作エッセイ(50)ポメラ創作賞をお手伝いさせていただいて
先日、入選されたヒノエンヤさんとZOOMでお話しした経緯が記事としてアップされたのリンクしておきます。ヒノエンヤさんお疲れさまでした。
内容や詳細は記事をお読みいただくとして、私が小説創作のアドバイスなどをするようになった経緯を少々書いておこうかなと。
最初は経済的な理由
初めて小説のコーチを考えたのは、コーチマッチングサービス・サイタ(株式会社クラウドワークス)との出会いだった。うつで会社を中途退職した後、寛解を目指してバイク便の受託ライダー(人との接触が少ない)を経て、メーカーのコールセンターに派遣社員として勤めるようになった頃。少しでも収入を上げたくて、不定期で収入を得られる方法を模索していた。
自分の知識や技術のコーチで収入を得るというコーチ業は美味しそうに見えたが、私の持っている資格(例・シスアドとか)や技術はどれもビギナーレベルで話にならない。
ダメもとで「小説創作」と銘打って応募してみた。
面接で手ごたえ
面接では、過去の佳作入選(ビジネスストーリー大賞)の賞状と、それを報じた新聞記事のコピーを持参した。この程度で、コーチと名乗っていいのだろうか? 作家と称していいのだろうか? という不安はあったものの、「十分資格ありますよ、逆にこんな安い謝礼でいいんですか?」と言われた。知名度ゼロの書き手なのでこれでも十分ありがたかった。特に、退職や転職を繰り返していた私には自信回復にも繋がった。
ちょうど、日の目を見なかった過去作品をぽつりぽつりと電子書籍化して、それが意外にも読まれたりしていたころである。
募集側は、WEB投稿サイトなどでの投稿者の伸びなどもにらんでいたようだ。実際に生徒さんの応募が入ったのは半年後から。その半年の間、せっせと自分なりの創作のコツや気づきを記事化していたのが効いたのだ。
アドバイスを送ることは、自分も気づきを再確認することである
生徒さんを教えることで、自分が無意識にやっていたメソッドを「~だから、こうするのだ」と再確認することができた。このお陰で、自分が作品を書く速さもアップした。皆さんの作品を読み、熱意に触れることで、「俺も書くぞ」という気持ちが再燃したのだ。
そして、気づきをサイタのBLOGで記事化していったものを「小説指南」という書籍にもできた。この書籍のご縁で、地方自治体から小説講座のご依頼をもらったり、自分の住む自治体で講座を持ったり、文芸協会に入れてもらったりと創作環境が広がったのだった。
「教えることとは、教わることである」と、高校の国語教師だった亡父が言っていたが、まさにその通りだなと思う。同時に、「やっぱり俺は父の子」だなという感も持ったのだった。
最後に、ヒノエンヤさんの記事はこちらです
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ポメラ創作賞受賞と小説講座