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物語詩 「花蝶の病」

 その花野に入ってはならぬ
 掟を破って拾った子
 子どもを亡くした可哀な母の
 優しい手に縋った赤子
 子等の名前はラファとリタ
 似ても似つかぬ双子の娘

 ラファは白ゆり、うつくしい娘
 亜麻色の髪は波打って
 白磁の膚に落ちかかる
 その淡い目がまばたけば
 少年よ
 君はもううごけなくなる

 リタは若駒、利発な娘
 その好奇心は猫も及ばず
 野原と本とが彼女の師
 真っ直ぐな目で見つめる先の
 世界
 それはあまりにも広いゆえ

 彼女は彼女の姉さんで
 彼女は彼女のいもうとで
 彼女は彼女さえいればいい

 リタ、リタ、何処にいるの?
 朝寝坊の姫君が
 ぽっかり空いたベッドのとなり
 夜の閨にて絡めた指の
 主を探してその名を呼べば
 ラファ、ラファ、私は此処よ
 答える声の明るさに
 朝日は今日も嫉妬する
 手に手をとって階下に立てば
 優しい影が
 お早う、私の愛しい娘等よ
 朝餉にほかりと湯気が立つ

 転がるように野に出でて
 蝶よ花よの春の精
 夏の川辺の人魚姫
 紅の錦を身に纏い
 氷の国の女王さま
 美しい森を抜けたなら
 なつかしの花野に辿り着く

 リタ、貴女は憶えているの?
 ふたり、此の野で泣いていたこと
 ラファ、私は憶えているわ
 ふたり、此の野がすべてだったの
 母さまは此処を恐れているわ
 母さまは〈彼女〉を恐れているの
 〈彼女〉って、だあれ……?

 此処は私と貴女の産屋
 此処は〈彼女〉の秘密の花園
 此処は……

 お喋りに夢中な可愛い双子
 気づかぬうちに境を超えて
 そのほっそりした四つの足は
 禁足の地を踏んでいた

 出ておゆきなさい、愚かな娘
 なつかしい、こわい声がする
 眩いばかりの呪いの花と
 異形の色彩を帯びた蝶
 身の毛もよだつ凄艶に
 可愛い双子の意識は途絶え
 静寂だけが残された

 ぱちり、開いた目を覗き
 母は潤んだ目を細め
 愛しい我が子をその手に抱いた
 よくまあ無事に帰って来たね
 もしもこの手の届かない場所
 こわいところへ連れ去られたなら
 私は生きてはいられまい
 
 母さま、どうか許してね
 母さま、私こわかったのよ
 母さま、私知りたかったのよ
 貴女が恐れるあの場所が
 私たちが居たあの場所が
 一体〈誰〉のものなのか

 揃えた声に涙が滲み
 あたたかな腕のなかで双子は
 火のついたように泣きだした
 やがて疲れて微睡むと
 おやすみなさい、可愛い子
 涙の乾いた頬を寄せ
 幽かな花の香
 ぞっ、
 
 可哀想なラファとリタ
 永遠を見せた日常は
 かるめらの如き幻影で
 もう戻らない歯車が
 ぎしりと重く動きだす

 リタ、お花の匂いがするわ
 窓の外でも花瓶でもない
 仔馬のようにすらりと伸びた
 貴女の身体の奥深くから
 こうして側に居るだけで
 くらくら眩暈を起こしそう
 ラファ、どうか許して頂戴
 私には何も判らない
 けれどもきっとあの日から
 私の身体の奥深くには
 血を肉を骨を喰らうが為の
 邪な種が住み着いた
 
 諦めたような笑みが浮かんだ
 その薄桃の唇からは
 花園で見た極彩色が
 はらりとこぼれ
 宙に舞う

 悲嘆に身を震わせた少女は
 罪科を負った同胞を
 狂ったようにかき抱いた
 その細腕でどれ程の
 零れる生命を救い得よう?
 毒花に身を蝕まれた少女は
 見目麗しき同胞の
 溢れる涙をすくってみせて
 その温もりがどれ程の
 救いであってきただろう?
 
 大丈夫、ほら見てご覧
 花の名前を教えてあげる
 やさしい声が
 麗しいその花の名を
 紡ぐかたちが愛しゅうて
 この手を二度とは離すまい
 
 半狂乱の母親は
 痩せた腕に取り縋る
 私が代わりになれたなら
 この命など惜しくない
 母さま、どうか泣かないで
 私がリタを守りましょう
 母さま、どうか生きていて
 貴女は何も悪くない
 
 花吐く病が進む隣で
 罰は片割れを逃さなかった
 抱いた背中に何かが触れる
 薄く可憐な蝶の翅
 悲しい顔をしているわ
 辛いことなど何も無いのよ
 にこりと笑んで口づけた
 私が蝶なら貴女の花の
 蜜の甘さに酔いましょう
 暗い黄泉路も二人なら
 春の小径に変わりましょう
 
 溢れる花は喉元塞ぎ
 聡い頭で紡がれる
 言葉は誰にも届かない
 伸びた展翅は記憶を奪い
 磨り減らされた情の数
 人ならぬものに近づいて

 むせ返るような花の臥所で
 悲劇の双子は眠りについた
 世に美しい亡骸を
 抱くはずの腕は弱って果てて
 それを知るのは〈彼女〉だけ
 災禍に濡れた手に触れた
 無垢な少女の魂は
 ひとつ、ふたつと羽ばたいて
 いにしえの夢を思い出す

 人の子の情に憧れて
 人の世の興に魅せられて
 温いその手を逃さぬように
 赤子は力の限りに泣くの
 母さま、貴女の咎ならば
 それは貴女の愛だった
 
 少年よ
 君はすべてを見たね
 彼女に恋したあの日から
 彼女を妬んだあの日から
 無力さに肩を落とす事なかれ
 君が捧ぐ弔いの花は
 麗な魂の糧となり
 君が流す悔恨の涙は
 病んだ魂を漱ぐだろう

 愛されることを
 知ることを
 眩い故郷を去ることを
 切に望んだ、それ故に
 〈母〉に忌まれた

 私の子供……   
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

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