宮田珠己『いい感じの石ころを拾いに』感想

 こちら、小説ではありません。紀行エッセイです。何が目的の旅かというと、タイトル通り「いい感じの石ころ」を拾うのです。素敵すぎます。

 全国さまざまな海岸をめぐり、ときには先達のコレクションに感動し、同志からいい石が拾えるスポットの情報を貰い、興味のない同行人もたちまち石ころワールドに誘い込む。ヒスイ、メノウ、水石、色々出てきますが主題はとりあえず石ころ。そしてそこには地質学的な知識は重要視されません。ただ、見た目として「いい感じ」。筆者もそれは度々口にしていることで、そこに時折煩悶しつつ、しかし結局は、楽しけりゃいいや、って感じで納得してしまう。そのさっぱりした感じも、良い。文章として漂う雰囲気がとても好もしいんですね。石ころを拾うためだけの旅、道連れの方々も個性的で、とても楽しげな雰囲気がある。無価値とか意味が無いとか馬鹿にされると言うけれど、この意味のなさの共有は、すごく尊い。効率とか要領の良さを唱える社会に疲れた心がふっと緩む気がする。意味のないことを、無駄なことを愛したって良いんだ、と認めてくれる優しさ。

 ところで、かくいう私も石好きであって、そのへんの石ころも、水晶みたいなキラキラしたもの(筆者言うところの「エキセントリックな石」)も好きです。海岸や河原に行くと、いや砂利道を歩いているときだってなんとなく地面の石ころを見つめてしまう、そんな人間でありますので、多数掲載された、そしてありがたいことに多くがカラーの石ころ写真たちに、いちいち「良いなあ!」と唸っています。海岸に石拾いに行きたくてたまらなくなる。そういえば、元々石に興味のない人は、この本をどう読むのでしょう。ちょっと聞いてみたい。変なことやってんなあ、と思いながら、読み終わる頃には石ころワールドの虜になっているのかもしれない……とも、思います。

 この本を読むと、石を愛する人たち、愛石家にもいろいろなタイプがいることがわかって興味深いです。結晶を愛でる人、断面好き、磨く方がいいのかありのままか、カラフルなものか地質学的に珍しいものか、石ころ拾いでも模様派と形派があるなどなど……多様性がすごい。それはわかるなあ、ええ、そりゃちょっとないんじゃないの、などと呟きながら読むわけですが、それでは一体私自身は石の、鉱物の何が好きなのであろう、と考えてみたくもなるのです。

 私の鉱物への興味を確実に亢進させたのは、敬愛する詩人にして童話作家、宮沢賢治の影響が大きいでしょう。『十力の金剛石』なんかほんとうに好きでして、読んでいるだけでもうきらきらとした絵が見える。石の名前の漢字に、カタカナでルビが振られるその不思議さ、あやしさ、美しさ……本物の珪孔雀石《クリソコラ》も天河石《アマゾンストン》も見たことがない癖に、子どもの私はそれが美しいものであると確信していたのです。

 私の細々としたコレクションの中に、天青石という石がございます。鉱物ファンの皆様ならば御用達イベント、ミネラルショーにて一目惚れしたものですが、なんといったって、名前があんまり美しい。ルビを振るならセレスタイト、その名にふさわしい澄んだ薄青色の石です。組成とか、結晶の種類とか、興味がないわけではないのですが私はどうも名前と見た目で満足してしまう。自分の感性が綺麗だと感じるのならば、私はそれが硝子玉だろうと人造宝石だろうと、多分構いやしないのです。それはもうきっと、学問の範疇では無い。ですから「文学的愛石家」などと気取っている次第でございます。

 稲垣足穂にノヴァーリス、石を愛する文学者は数知れず、太古の昔より存在するその輝きに、詩人は夢をみずにはいられないのかもしれません。

 ……最後の方は感想でもなんでもなくなってしまっていますが、本当に癒される素晴らしいエッセイなので、ぜひ一読をば。


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