飛浩隆『自生の夢』 感想

このようにひとつの文章として本の感想を書くことは本当に久しぶりです。そして書く前から、この感想を書くことが非常に困難であると分かっているのです。力量不足はもとより承知、拙い癖に無駄に長いこの文章にお付き合いくださるならば、どうぞ広い心をもって読み進めていただきたい。

話はこの本を買った書店から始まります。決して大きくはない河出文庫のコーナー(ショッピングセンターのひと区画を占めるにとどまるその書店では、棚ひとつ分もありません)の前にいつまでもボンヤリと突っ立っている私。なぜか地獄編しか置いていないダンテの『神曲』に首を傾げつつ、ある背表紙に目が留まります。「飛浩隆」。名前だけは知っていました。『グラン・ヴァカンス』の美しさを噂に聞いて、読んでみたかったが機会に恵まれずそれきりにしていたお方。お目当ての本そのものではないけれど、どんなもんなのかしらん……と気軽に手に取りページをパラパラとめくって、数行の文章を読み、

購入を即決。

わざわざ改行するほどのことなのですこれは。臆病な私は、本を買う前に結構悩みます。ネットで検索してみたり、図書館で予め読んでみたり。しかしこれは、即断でした。年に3回くらい、こういうことがあります。読み終えた今は、決して間違っていない判断だったと思っております。

どうも前置きが長くなりました。これは一冊の本でどれほど語れるかという挑戦にも等しい。そんな気がして参りますね。

さてようやく本題に移るわけですが、まずこの本『自生の夢』は、作品集です。30〜70pほどの作品が、7編。未来なのかパラレルワールドなのかという世界での出来事が、恐ろしくリアルに鮮明に描き出された作品たちは、世界観を(程度の差はあれ)共有しているようです。

概観を述べられれば一番良いのでしょうが、生憎そのような器用なことは初心者にはできかねるのでありまして、ですから忠告いたします。一番よいのは、こんな記事などさっさと閉じて、『自生の夢』を購入され、本編とともに作者によるノート、そして伴名練さんによる解説を読まれることです。それが全てです。私の感想など自己満足です。SFのエの字も知らぬ初心者が、とんでもないものに触れてウワァーッと叫んでいるだけです。ええ。どうかお許し願います。

既に900字を消費していることに戦慄しておりますが、ここまで来たら書くだけ書きましょう。さあ、一編ずつ見て参りますよ。ネタバレやなんかは気にしませんのでご注意を。しかし、この作品におけるネタが何なのか、私にはよくわかっていない気もするのです……

『海の指』

いきなりの「味噌汁」「卓袱台」に面食らっているのも束の間、世界は〈灰洋〉に飲み込まれてほとんどが無くなってしまったと、そういう世界が舞台です。その〈灰洋〉からもたらされる災禍こそが「海の指」。その為にできたグランド・バザールやモスクのパッチワーク。しかしその絢爛な寄せ集めの中にあるのは、ハムカツを売る商店街。なんだ、このギャップは。想像できそうでできない。うう、良いなあ。

メインとなる1組の夫婦。世界を飲み込んだ海の中にはそれがきちんと保存されていて、夫、和志の仕事はそれを「音」で引っ張り出すこと。そうやって物資を供給しているわけです。「音楽」は、重要な要素。かくいう「海の指」も、鍵盤を鳴らす指に例えられたものです。しかし奏でるのは旋律では無く、戦慄。なんちゃって。…とにかく、夫が海岸でその作業をしていると、件の「海の指」がやってくる。そしてそれは、灰洋に飲まれた妻の志津子の元夫、昭吾の形をとって志津子を襲う…なんだかパニック映画みたいで怖かったです。天災共通の恐ろしさがありますね。和志は志津子を取り戻そうとするも時すでに遅く、砂像のような姿を最後に、志津子は消えてしまう。儚くて美しいだけではない、生きる人間の肉の熱さみたいなものを感じます。遠雷が、「とろとろ」と鳴るのが個人的に好き。この、そぐわないようで納得してしまうオノマトペ、好みです。

そういえば、海岸で死んだ妻に会う、というと小泉八雲の怪談が少し浮かびますね。あっちで相手を見つけて幸せに暮らしているの…とは、こちらでは行かないわけですが。海岸。海と陸の境は、彼岸と此岸の境になり得ると、そういうわけでございましょう。海を起点に全てを襲い、破壊する災害、そう言われてあの日を思わずにはいられません。奇しくも現在、3月であります。

『星窓 remixed version』

月が2つある惑星ミランダ(実にSF的な舞台)での、1人の少年の夏休みの話です。宇宙旅行の予定を全ておじゃんにし、そうせざるを得ない自意識に不機嫌になる、住む世界は違えど非常に近い精神性。親近感が湧きます。

そんな漫然とした彼が〈シールド症候群〉なる現象で平板に見える空にうんざりして購入するのが「星窓」。宇宙のひと区画をガラス板のように切り取って、額に収めてしまったもののようです。なかなか洒落てますよね。ちょっと欲しい。〈シールド症候群〉が無くたって、人工光に溢れた今日の夜、満点の星空はフィクションですから。…とはいえ彼が購入するのは、真っ黒で、星など見えない星窓。欠陥品なのか格安で、それを彼はうきうきと部屋に飾ります。

そのあと綴られる、居ないはずの姉との、夢なんだか現実なんだかよくわからないあいまいな日々。この姉が良いんですな。酒呑みで、ずけずけとモノを言う。肉親特有の遠慮の無さ。別れの際の意味深な台詞と、腕輪がはまった細い手首。美人を思い描くのは、読む側の特権ってもんでしょう。そして最終的に、星窓に閉じ込められていたものが逃げ出して、その正体は自分で、世界が裏返って、彼の眼は星空を取り戻す。よくわからない。わからないなりに、良かった。爽やかな青春じゃないですか。若者のアイデンティティ獲得とか、そういうことかもしれません。

この話を読むと、無性にサイダーが飲みたくなります。洒落たグラスに注がれて、きらきらと浮かぶ泡は、いつか失くした星空のようで。

『#銀の匙』

このあとの物語上重要なアイテム、「Cassy」が登場します。自分の周りで起きたことやそれに対して抱いた感情が自動的に文章として綴られるというもの。自動的に自分が主人公の一人称小説が書かれていくようなものなのでしょうか。これがあればこんなふうに頭を悩ませて感想文を書かなくても良いのかもしれない…

主人公は4歳の男の子、ジャック。Cassyの開発者の息子である彼が、産まれたばかりの妹に会いに行く過程がCassyで綴られます。特に事件も不思議なことも起こらない、平和なお話。これが嵐の前の静けさだと気付くのは、まだ先のこと。

『曠野にて』

『#銀の匙』で産まれた妹、アリスと、克哉という少年の2人が繰り広げる、言葉を使った陣取り合戦。ここで大活躍するのが「Cassy」。もはや自動筆記の機械の域を超え、言葉を使って自由自在に世界を構築する道具と化しているのです。それはこの2人が天才ゆえということですが、まあ、その描写のモノスゴイこと。差し挟まれる子供らしい無邪気な会話と、壮大な曠野を舞台に存分に発揮される異能に、どこか恐ろしさを覚えます。

また、このゲームのために克哉が作る物語が、最初の『海の指』のようです。劇中劇、というのか、あの話を7歳の少年が考えるような世界なのだと考えると、ウム、余計に恐ろしい。

最初に読んだとき、一度ここで本を閉じました。この先広がっている物語に、自分が耐えられるか不安になって。

『自生の夢』

しばらく時間が経った後で、勇気を出してえいやっと本を開く。やってきました表題作です。話の筋を説明するのはちょっと難しい。主となるのは言葉だけで人を殺す殺人鬼、間宮潤堂。すでに死した彼を、彼の膨大な著作をもとにすることによって「書く」。蘇った潤堂により、謎の〈忌字禍〉(イマジカ)を滅ぼすために……と、こんな話。フランケンシュタイン、癌細胞、捕鯨、レクター博士、おそらく私の知らないもっと多くのモチーフを下敷きにして出来ている、この作品も一つの継ぎ接ぎ、パッチワークだとか、そういうことを考えたくなります。

世界の危機(アリスが忌字禍に破壊される場面は中々壮絶です)に直面して、それを倒すために画策する……というともっとこう、動的な感じがするのですが、これはどこまでも静謐で、穏やかで、優しいと感じる。どんなに激しい感情もどんなに劇的な出来事も、一様に紙の上に閉じ込めてしまう、文字というものの偉大さ、素晴らしさ、恐ろしさだと思いました。文字、言葉、物語というものの持つ力をこうも思い知らされることがあるのか。これはこの本全体を通して思ったことですし、この本に惹かれた最大の理由であるかもしれません。紙とペンだけで、ひとつの世界が作り出せる。この世に物語として紡がれた世界をすべて並べたなら、膨張を続けるこの宇宙にだって入りきらない、いやそれどころかいくつも宇宙を内包しているのが言葉というものなのだ……そう考え始めた私の呼吸はいつか早まり、もう一度本を閉じます。紙束に印刷されたインクの並びが、こうも人を揺さぶるのは、なんて不可思議なことなのでしょうね。

『野生の詩藻』

主人公はジャックと克哉。前の話で登場した2人が成長して、アリスが遺した「野生の詩藻」、〈禍文字〉(かもじ)を捕獲するため罠をはり、時間を巻き戻して(!)、大奮闘します。なんとなくスピンオフという感じで、若者2人のエネルギーに溢れた鮮やかな一編ではないかなと。

しかし、〈禍文字〉は良いですね。髢、の字もあてられて、主を失いながら黒々とした髪だけが蠢いている感じがします。鬼太郎に出てくるおどろおどろとか、そういうのを想像してしまいますね。……しませんか。

それとこの名前からはもうひとつ中島敦の『文字禍』も連想されましょう。あの話も面白い。あれを文字で読んでるという皮肉が堪らない。文字というもの、言葉というものの力というか霊性というか、そういうものに迫った話として、その連想もまた一つ層を成しているわけです。

『はるかな響き』

最後の一編にして、最難関。スケールが急に大きいです。宇宙全体を俯瞰しているような視点の語り。知性を持ち始めた生命体ヒトザルの世界と、箱庭の中の夫婦の平和な生活(これはサンプルとして採取され、記録として読み出されたものらしい)。タイトルのもとであろう〈響き〉。構造を読み取ることは私には難しすぎるので、やめましょう。

ただ、ピアノの鍵盤、音楽(『海の指』)、言葉を媒介にして人間を文字として読み出す行為(『自生の夢』)、2つの月(『星窓』)、自発的に再編する運動体(『野生の詩藻』)などなど、これまでの物語の要素が散らばっているような気がします。エンドロールといいましょうか、世界の壮大さも含めて、一気に最後カメラがぐっと引いていく感覚。滅びと再生、などは使い古された文句なのかもしれませんが、最後に新たな世界の始まりの、熱い血のたぎるような決意があるように感じるのであります。壮大な平野で、地平線からのぼる朝日の色が見えるよう。

『ノート』『文庫版のためのノート』『解説』

さて、無知なままに読み進めてきた私が、ここで様々な種明かしを受けるわけであります。例えばこの作品の順は決して時系列ではない、とか。意外とこれは重要。そしてそもそもこれが単行本を文庫化したものだということすら知らなかったのです(お恥ずかしい)。

「本もまたあなたを読む、これはそういうことについて書いた本です。」

『文庫版のためのノート』の結びの文句。これ以上私は何も言いますまい。

それより何より、伴名練さんによる解説が衝撃的なわけです。未読な人も、読み終えてすぐの人もどうか読まずに、自分の解釈に浸って欲しい(この言葉がこの感想文の大きな精神的支柱であります)と前置きした上で始まる解説。作品に散らばった数々のモチーフ、オマージュを数え上げ、次々と並べられる作品名に唖然とするばかり。自分がSFにいかに疎いかを痛感し、なるだけタイトルを頭に入れようともがくさなか、『屍者の帝国』の話になるわけです。最重要作品にして、この作品が生まれた理由たる小説。書店で見かけたことはありますし、なぜ作者が2人なのだろうとぼんやり疑問に思っていたわけですが、まさか、亡くなった後を継いで書くなどという、そんなとんでもないことが行われていたとは!……有名な話なんでしょうなあ。SF作家さんって凄いです。

というわけでSFの深い沼に嵌りそうな現在。飛浩隆さんの他の作品、『屍者の帝国』その他伊藤計劃、円城塔両氏の作品、解説に出てきた数々の作品、とても読みたくなります。読書は解説までが読書です、とは言いませんが、読み終わってからが始まりだと、これはそういう本の好例でした。新しい世界がまたひとつ開けた予感に、胸躍ります。

兎にも角にも、言葉や文字で紡がれた物語というものに大きく依存して生きてきた私にとって、この本が非常に響いたわけです。難しいことは言えません。ただ、言葉には力がある。そう思っただけで、救われる気がするのです。

さて。

ここまで読んでくださる奇特な方がいらっしゃるのかは知りませんが、もしいらっしゃれば、最大級の感謝を。いらっしゃらなくても、書いていて楽しかったので良しとします。自己満足ですから。最初にも言いましたがね。

そして何より、この本に出会えたことに、感謝を。

ありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?