安芸高田市どう喝訴訟の読み解き方

この訴訟の論点

安芸高田市市長時代の石丸伸二氏のいわゆる一連の居眠り・恫喝問題の"恫喝問題"の第二審の結果が出た。この「恫喝問題」というタイトルはミスリードを生むが石丸伸二氏が恫喝したのではない、石丸氏が市議会議員から'恫喝をされた"という問題である。今回の訴訟の論点は"山根議員による恫喝があったのか、なかったのか"である。
山根議員側の主張は、「私が恫喝をしたとSNSででっちあげられた。名誉毀損である」ということである。つまり、裁判所では、恫喝があったのかなかったのかが争点となる。

証拠のない不利な裁判

正直に言って、この裁判は石丸伸二氏にとっては明らかに不利である。裁判所というのは証拠がないと判断ができないものである。今回出揃っている証拠というものは、原告側の恫喝していないレコーダー音声と状況証拠である。
一方で石丸伸二氏の主張しているのは"真実相当性"である。全員協議会で山根氏の発言を確認した際に山根議員が発言を"否定せず"に「そんなつもりはなかった」という弁明である。これが石丸氏のファクトチェックだったのだ。このファクトチェックをベースにした"ロジック"による証拠。つまりは、言わなかったという否定をせずに、"そういう意味で言ってない"という否定ということは"言った"のであろうということである。
山根議員による恫喝があったのか、なかったのかについては証拠がない限り裁判所は判断がつかないのである。石丸伸二氏自身がレコーダーをもっていないので、石丸伸二側には物的な証拠がない。石丸市長独特のメモの取り方の証拠はあるようだがイニシャルと単語しか書かれていないようだ。マインドマップのようなものだろうか。原告側が公開した録音記録はなかった証拠として提出されているようだが、録音記録は不都合があれば切り取ることさえ可能な状況である。刑事告訴であれば切り取りされた可能性があれば捜査が行われるが、今回は民事訴訟であるため、捜査は行われない。
今回の裁判における両者の証拠を比較すると"物的証拠"が優先されるのは明らかだろう。その時点で今回の裁判は石丸伸二氏にとっては不利に働く。今の証拠だけでは言ったという事実が証明できないのである。

勝ってしまったらそれは他の裁判にも影響がある

そもそもこの裁判勝ってしまったら他の事案にも影響がある。それこそこの問題を前例にして「有名人に〇〇された」という虚偽の言動も認めてしまうことになる。松本人志氏の裁判でも"真実相当性"が議論されているが、論点は似たようなところがある。
「石丸伸二が裁判で負けた」という言い方は確かにそうである。しかし、裁判で負けるという印象を犯罪者のように扱うのはいただけない。今回の民事裁判は有罪無罪を決めるのではない、お互いの意見を汲み取り、仲裁的な役割が強い。もちろん裁判は司法の判断であるため「違法性」などの言葉を使って表現されるが、別に逮捕されるわけでもないし、民事裁判で負けても前科がつくわけでもない。もう一つ大事なのは石丸氏個人としての賠償責任に対しては棄却されている。
今回は民事裁判での二審決着であり、石丸伸二氏の証拠が弱いのは事実である。現段階では、証拠不十分な裁判であり、"真実"は闇の中である。つまり、今回の裁判が示すのは「恫喝があったとは言い切れない」という結果である。
身近なビジネスの世界でも"言った、言わない"というトラブルはよく出てくるが、これを証拠がなければこの議論は泥沼化する。だからメールや議事録などに残すようにするなど新社会人も学ぶだろう。この裁判で改めてこの大事さに気づく。
今回は言ってない側の証拠しかないため、言ったという証拠がない。もし、今回の言ったという証拠が新たに出てくるのであれば、山根氏の提出している録音の見つかっていない最初の10分が見つかることである。一体その10分で何が録音されていたのだろうか。火のないところに煙は立たないともいうが、果たしてどうなのだろうか。
第二審は結審が出たが、これに対して石丸氏は上告する方針を示しているため、まだまだこの問題自体は決着はついていない。上告が棄却されるか最高裁まで石丸伸二は「まだ負けていない」のだ。


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