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#31 もうひとつの居場所と、意味のある無駄

大学での一番の目的は管理栄養士の免許を取得することだった。

所属していた学科には80人ほどいて、男子はそのうち13人しかいなかった。

他学科の知り合いはそれに対して
女の子がたくさんいていいよな〜  とか、
調理実習楽しそうでいいな〜  だとか
さまざまなイメージを持たれていたが

実際、男子が少なすぎて逆に男として見てもらえないし
知り合いが言う「調理実習楽しそう。」というのはおそらく料理教室のようなものをイメージしているのだと思う。
これらの違いはまた別の記事で書こうと考えている。



大学の軟式野球部に入ったきっかけは、同じ学科の先輩がマネージャーをしていたからであり、テストやレポートのことを教えてもらいたかった。
私が入部してすぐにその先輩はやめちゃったけど。

でもそんなことよりも大切なことを野球部でたくさん学ばせてくれた。

練習は週に一回で土曜日のみ。大学の敷地内にグラウンドはなかった。

私が所属していた学科は土曜日にも授業があったし、グラウンドが家から近かったわけでもなかったので
部活にほとんど顔を出すことができず、初めてリーグ戦に参加したのは11月だった。

その頃の私はというと
専門的な科目が増え始めたので授業では先生が何を言っているかさっぱり分からなかったし
調理の先生が怖すぎるわレポートは厳しすぎるわ課題が多すぎてバイトにも行けず
給料が2000円の月もあった。

まあそんなこんなで精神的に参っていた。

入学当初の「管理栄養士になるぞ!」という意気込みはどこへやら。

希望を持っている友達はほとんど居なくなり、団結力のあった男同士ですら口数は減り、マイナスな言葉しか出てこず、そんな精神状態だったから授業も頭に入らないし、調理実習では先生の顔色をうかがいながら
はよ終われ はよ終われと念じていた。

その日のリーグ戦では勝てば1部昇格に近づく大事な試合だった。

しかしその試合は土砂降りで、本来9回までやる試合が5回に短縮されたが、大変な試合だった。

それにもかかわらず、先輩やチームメイトは無邪気な子供のように白球を追いかける純粋な気持ちで野球をしていた。



そこには、今の自分とは全く対極の光景が広がっていた。

彼らにボロボロの精神状態など感じない。
ベンチでマイナスなことを言っている人もいない。


まあ約一名、野球と関係ないことを叫んでた人はいたけど。
どこのコーヘイさんとは言わないけれど。


どんなに寒くても、雨でびしょびしょになろうとも、地面がグチャグチャで本来のプレーが出来ていなくても
絶対に勝つんだという気持ちで皆同じ場所を見て野球をしていた。



それに比べて私はどうだろうか。

姑息なやり方で先輩から情報をもらおうとしたり
先生から褒められている学科の同期を妬み
根拠の無いプライドのせいで
成績のいい同級生に
「レポートを見せて欲しい。」すらも言えずに
ただずっと頭を抱えていた。

学科の先輩はいなくなったし
練習にも顔を出せなかったから
2年生になったら部をやめようと思っていた。


試合には勝った。私も試合に出してくれた。
何をしたかは特に覚えていないが、ユニフォームがドロドロになっている自分の写真を見つけたので
まあ何かしらはやったのだと思う。


荷物をまとめてベンチを片付けている時
ある一人の先輩が声をかけてくれた。

その先輩は野球部の代表をしていた人だった。

「ハジメは俺らと違って勉強忙しいやろうし
家も遠いと思うから来れる時だけ練習来てくれたらええで。
お前が来てくれたらみんな喜ぶから。」

私は笑って「ありがとうございます。」と答えたが

内心、涙が出そうになった。
野球は上手くないし
練習にも来ない。
そんな、ほとんど話したことがないであろう後輩である私を気遣ってくれたことが嬉しかった。

私はこんなにもいい人達がいる野球部を辞めようとしていたのかと。反省した。


そして私にとって野球部は
練習や試合の後に温泉に行ったり食事に行ったり
家に泊めてもらったり
野球をするだけの繋がりではなくなっていた。


大学の目的ではなくとも
大切な居場所になっていた。


私はいつから合理的にばかり考えるようになったのだろう。

正解か不正解か
意味があるのかないのか
得するのか損するのか

頭の中は空っぽのままで考えられる力があるわけでもないのに、いつしかそのような事ばかり考えていた。

このリーグ戦を見てハッとした。
あの人たちは目の前のことにひたすら夢中になっていたということ。

自分が野球を始めた時もそうだった。
損得勘定なんて考えず、時間が流れることも忘れるくらい熱中していた。


自分にはこういう居場所が必要なんだと思った。
やるべきこととかけ離れたもうひとつの居場所を


仕事でも学校でも、いい成績や業績はもちろんあげた方がいいし、メンツも大事。お金も大事。

でも居場所がないと簡単に崩れてしまう。

居場所があるからこそ
それが学校や仕事に行く理由になる。
朝起きる理由になる。

同僚でも同級生でも先輩でも後輩でも
事務所のおじさんでも清掃員のおばさんでもいい

はけ口でもなんでもいい。
居場所があれば、心が豊かになると思う。

難しい顔をして議論をするような居場所ではなく
ひどい顔で笑いながら時間を共有できるものがひとつでもあればいい。

リーグ戦で授業を休んだ時

野球やってたら単位落とされるよ?
勉強が疎かになるよ?
先生に嫌われるよ?

色んなことを心配された。
それは私の成績がよくなかったからであり
私の責任だ。

確かに国試に受かるために野球なんて必要ない。
傍から見たら確かに無駄だ。

実際に単位も何個か落としたけど、後悔はしたことがない。

無駄は無駄でも、私にとって意味のある無駄だったから

大学に行きたくないと思っていた私が踏みとどまれる理由になったから

学科以外に、もうひとつの居場所があったから



そしてもっと大切だと思うのは人生の居場所。

それは、社会人になっても集まれる、
集まろうしてくれる人たち

地元に帰ったら待ってくれる人

友達、家族、恩師

踏んだり蹴ったりでも、泣きっ面に蜂でも
心の拠り所があれば強く生きられる。

罪のない人を傷つけてニュースに取り上げられた人や
自ら命を絶ってしまった人たちは
ひょっとしたらそんな人生の居場所を失ってしまった人なのかもしれない。


ガソリン代は高いままなのに
週末になると私がおばあちゃんの作る晩御飯を食べに1時間半かけて地元に帰るのも、
きっと意味のある無駄。

猫をモフモフしに実家に帰るのも、
きっと意味のある無駄。

居場所がもうひとつあるというだけのこと。
それは何としても死守しないといけない。



そして、リーグ戦で声をかけてくれたその先輩が
去年入籍し、先日結婚式をあげた。

先輩は私たちのお手本になるような人だったけど
抜けている部分もあった。

野球が超上手くて頼りになるのに
右がどちらか左がどちらかをど忘れしてあたふたしたこともしばしばあったし

一部リーグ昇格を記念して連盟からもらった賞状にビールをこぼしてふにゃふにゃにしたこともあったし

車の教習でメガネをかけるように言われるも
お金が無いという理由で
百均の老眼鏡で教習にいってもいいのかと
野球部のLINEのグループで真面目に相談してきたこともあって

いじられキャラの私ですらもいじりたくなるような人だったけど

相手がどんな人でも態度を変えずに
私のような後輩にも気遣いを欠かさないその姿勢が、私の憧れだった。

私は二次会からの参加で、式には出ていなかったが、二次会が始まる前にみた動画でもうすでに泣きそうになった。

この人のために、集まる人がこんなにもいたんだということ。

私以外にも彼に救われた人がたくさん居たということが、なんだか自分のことのように嬉しくて

色んな気持ちが溢れそうになった。

彼にとっての居場所がたくさんあって
そしてこの日にまた守るべきものが増えていく。

結婚ってすばらしいな。と肌で感じた。



矢野さん、ご結婚おめでとうございます。

あの時のあの一言のおかげで野球も大学生活も悔いなく過ごすことができました。

あなたはきっとその事を覚えていないと思いますが、
私は5年以上経った今でも忘れたことはありませんでした。

そして、これからも忘れることはないでしょう。

あなたに幸せにしてもらった人は私以外にも沢山います。

幸せは奪うことで得るものではなく、与えた人が感じるものなのだと学びました。
矢野さんから、学びました。

私も、私を大切に思ってくれている人たちを大切にできるように

私に居場所を作ってくれたたくさんの人たちの居場所になれるように、


そして、あなたのような人になれるように

自分のこれからの人生をどうするか
自分がこれからどんな人間であるべきなのか
不器用なりにじっくりと考えようと思います。

あなたの後輩でよかった。

どうか、末永くお幸せに。