冷えた女の覚悟

女性のイメージといえばなんだろう。
「やわらかい」「やさしい」「かわいい」と、挙ればいろいろある。

私に至ってはこうだ
「冷えている」

それは自分自身が冷え性だからに他ならない。

私の母はわたしを健康に産んでくれた。
それを、私が悉く壊していった。
今流行りの「自分を大切に生きること」
そこからかけ離れた生き方を選んでしまったから

それなりに温活といわれる事もしてきたし
健康志向の食生活も実践したけれど

根本的に「冷え」を解消することは出来なかった。

体の冷えというのは何も「物理的」なものだけではなく
「心」自体にも原因があるように思えた。
「”心”シン が冷え切っている」「自力で温める力が低下している」
心は心臓にあるとも言われるくらいなのだから
そこから送り出す熱量が低ければ当然の結果なのだろう。


さて、ここで私の事を少しばかりご紹介。
北関東のとある地域。イチゴや餃子で有名なあの県ですね。
生まれも育ちも同じ場所。
過去に栄えた企業に勤める父と専業主婦の母との間に生まれた
ごく一般的な人間。今年41歳。

それなりに課題のある家庭環境のなかで育ったが為か
人の機微に敏感になり、顔色を見て状況を判断して生きていた。
気が付けばいつも”独り”
孤独を愛するヒトよろしく、”死”を見つめる事も多かったかもしれない。

ただ、それも成人してから少し様相が変わった。
興味関心を抱きやすい反面、元々飽き性でもあった私は
”孤独”というものにすら飽きてしまったように思う。

「どうすればコミュニケーションをとれるのか問題」に対し
私が利用したのは「テレビのお笑い番組」であった。
芸人さんの返しや、皆の笑いのツボ。
そういったものを貪るように取り入れては実践を繰り返し

気が付いたころには、「普通に会話の楽しめる人間」に
擬態することが出来るようになっていた。

「擬態」というのは言いえて妙で
「そういうひと」という仮面を手に入れたという一つの処世術
最初はぎこちなくも、わざとらしさもあったと思う。

それでも20年以上続けていれば「当たり前」の日常になるし

かつての職場で心を通わせた同僚の言葉を借りるなら
「メッキも、いつか本物になれる」
ほんとうに、その通りだと思った。

ほんもの の定義は横に置いておいて、
そうして今、ここで生きている私は
いくつかの「覚悟」を迫られている。

ひとつは「家庭の事」
ひとつは「仕事の事」

どちらも、ここで選択をし
覚悟を持って進む時期にさしかかっているという事

長くなってしまうので今回は自己紹介のみで
筆を置こうと思う。

為になるかはわからないエッセイに続いていく予定ではあるけれど
もし琴線に触れる”なにか”を感じてもらえたなら

次回、ぜひお目にかかりましょう。


あなたがここに来てくれて本当にうれしい。
名前も顔も知らない”わたし”に触れてくれてありがとう






























おそらく






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