見出し画像

風が見た景色

ロープウェイとリフトを乗り継ぎ、東北の山にやってきた。

本日泊まる予定の避難小屋はもう間もなくというころ、草原の只中で涼しい秋風に吹かれた私は、山肌を駆ける風になった。

細い草をなぎ倒しながら、勾配がきつくなった急斜面でえいっと空に飛び出してみる。

私の眼下には森の海が広がっている。

ビュオオオと音を鳴らしながら、下降してあの森の中へ入ってみよう。

そこは針葉樹の森だった。不揃いな枝ぶりはコメツガの樹、左右対称の枝ぶりはシラビソの樹、白い樹皮が剥けたシラカバの樹や、ドングリを実らせているミズナラの樹も混在している。

このような針葉樹の森は珍しくない。標高が高くなると、どの山域でも似たような植生になる。

ただ、この森の素晴らしいのは、その奥深さにあった。日帰りではたどり着けず、近くには営業小屋すら建っていない。そのためか、三連休だというのにひと気が少ない。

太古の森へ迷い込んだかのような、自然の生々しさをしひしひと感じる。

木漏れ日が注ぐ鬱蒼としたジャングルの中を、木の葉を揺らし、ゴツゴツした木肌の幹を避けながら、奥へ奥へと入っていく。

大地がえぐれ、粘土質の土が露出した登山道を一直線に下ると、沢に飛び出した。

チョロチョロと流れる沢水は、下流へ向かうにごとに水量を増し、勢いよく大地を潤す。

地層から滲み出た清水は冷たく、谷筋を下りてきた私の体温も、その冷気で冷やされていく。

そのまま谷を伝っていくと、途端に開けた平坦な湿原に出た。一本の木道があるだけで、ほかに人工物らしき物はない。

ブワッと上昇して、上空から見下ろしてみる。

周囲は森に囲まれていて、そこだけ刈り払いされたような湿原に、いくつもの小さな黒い池塘が確認できる。

その脇を申し訳なさそうに横切る木道を目で追うと、湿原を抜けた奥に小屋が見えた。三角屋根の小さな山小屋。その側には川が流れ、近づいて見てみると、岩魚が気持ち良さそうに泳いでいる。

小屋からは人の声が聞こえない。どうやらここも無人のようだ。

再び針葉樹の森に入り、大地から顔をのぞかせるキノコに地面スレスレで挨拶をしながら、清々しい気分で一気に斜面を駆け上がっていく。

そのままの勢いで枝葉をかき分けて空に出た。

右手の方角に端正な三角形の山が見える。ただ、山頂は白い霧に覆われていて、どうにも眺めは期待できそうにない。

試しにそこへ向かってみるも、やはりただ白い世界が広がるだけで何も見えず、フイっと顔を背けて斜面を下った。

翌日は青空。日差しが眩しい。気温は瞬く間に上昇し、晴々しい気持ちで私も再び空へ舞う。

硫黄の匂いがする湿原を抜けて、あちこちから白い噴煙を上げる斜面をかすめ、空から地上を見下ろすと、三日月型の水面が見えた。

北の方角には樹木が生えていない山があり、さらに北には、今度は丸い沼が太陽の光を反射してキラキラと輝いている。

それからグイグイ高度を稼ぎ、はるか上空から吹き抜けてきた山並みを一望する。

引き伸ばされたように起伏の乏しい山塊が東西に横たわっていた。

原始的な奥深い森に覆われ、幾多の湿原を抱え、細い登山道がそこへ立ち入る唯一の手段として地表に刻まれている。

西の端に見える膨らみは西吾妻山。東の端に見える端正な三角形は東吾妻山。その中腹に三日月型の鎌沼。緑のない禿げた山頂は一切経山。その北側に丸い五色沼。

深い深い緑の山塊を見下ろしながら、空へ空へと昇っていく。

それから再びビュオオオという音と鳴らし、汗にまみれながら麓の高湯温泉へ向けて登山道を下っていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?