重農主義宣言

資本主義によって人類は豊かになっただろうか。全体としては豊かになったが、同時に貧富の格差は拡大し続け、気候変動という災厄をも生み出してしまった。ゆえに、資本主義は誤った思想であり、共産主義こそが正しい。このように主張する知識人と、それを支持する人々がいる。

彼らの間違いは、資本主義と共産主義という二項対立にとらわれていることである。資本主義を否定することは共産主義を肯定することであり、共産主義を否定することは資本主義を肯定することである、と世間では考えられている。だが、貨幣に価値を見出す点は両者に共通している。これらをまとめて重商主義と呼ぶことにしたい。

重商主義に対立するものは重農主義である。資本主義と共産主義とが貨幣を基礎にして人間社会を考察するに対して、重農主義は食料を基礎にして人間社会を考える。人間に活力を与えるものは米であり、人間が社会を作れるのは炭水化物のおかげである。したがって、人間にとって最も重要な物質である炭水化物を基礎にして社会制度を設計することは理にかなっている。我々は農業を基礎にした社会を作らねばならない。
 

我々は税金を廃止し、租税を徴収する。世界中で検地を行い、土地ごとの穀物生産量を確定し、それに対して一定の割合で税を定める。住民は毎年決められた量の穀物を政府に納めなければならない。これを税制の基本とする。

近い将来、食料問題が人類を襲うと言われている。人間の数に対して食料が足りなくなる。この問題を税制によって解決するのが重農主義の目的である。税の基本が農作物となるならば、人々は農業生産に精を出すことになるだろう。決められた税を納めるために、毎年安定した収穫が得られるように工夫を行い、結果的に食料自給率が向上する。

これは先進国にとっては不要なことかもしれない。しかし、これらのことを真っ先に行わねばならない国々があるのも事実である。そしてそうした国ほど、外貨を得るために商業作物を生産する羽目に陥っている。たとえばアフガニスタンでは、輸出用のアヘンの栽培が盛んだという。本当は、自国の人々を養うに足るだけの穀物を生産することに専念し、社会を安定させなければならない。だが、重商主義の支配する現代社会においては、貧しい人々までもが貨幣を手に入れることに没頭する。これでは経済成長どころか、人々は飢えて死ぬしかない。

いま世界に必要なものは重農主義である。人間の生存の基本に立ち返り、貨幣を捨て、農業を選ぶことである。
 

租税に基づく税制が実行されたならば、人々は自分が住んでいる土地の農業生産力を明らかに知ることになる。なぜならば、それが政治の基礎だからである。そして、自分たちがどれだけの人口を養いうるかを理解すれば、人口が爆発的に増加することもなくなるだろう。そこでは自発的な抑制が働くはずである。

したがって、食料問題の解決は、同時に人口問題の解決をも意味している。さらに、重農主義は貧困の解消にもつながる。なぜならば、貨幣中心の社会構造が変化すれば、お金がなくても生きてゆけるようになるからである。

お金がないことは貧困ではない。貧困とは食べるものがないことである。であるならば、食べるものさえあれば、人は貧困に陥らないで済むだろう。貧困問題を解決しようとする人は、どうすれば貧しい人にお金を与えることができるか、ということを考えがちである。しかし、お金によって貧困を解決することはできない。それは食料によってのみ可能となる。この問題は、農業を政治の根本に据える重農主義によって解消されるだろう。

また、これによって経済格差の問題も解決される。というのも、金がなくても生きてゆけるのであれば、金がないことなど気にしなくてもよくなるからである。貨幣が唯一の価値の源泉である限り、人は貨幣にとらわれ続けることになる。どれだけの貨幣を所有しているかによって、自分の価値が決定されてしまうように感じる。それが格差問題の心理的側面である。つまり、経済格差を問題だと思うからそれが問題となるのであって、経済格差を問題だと思わなければ、それは問題ではなくなる。あらゆるものの価値を貨幣で計る奇妙な習慣をやめれば、格差の問題は消えてなくなるだろう。
 

以上の理由から、現在我々が直面している数々の問題に対するたった一つの回答は、重農主義であると結論できる。食料問題、人口問題、経済格差の問題、貧困問題、環境問題、これらすべてを重農主義は一挙に解決するだろう。

衣食足りて礼節を知るという。生活の心配をせずに済むようになると、高尚な問題について考える余裕が生まれる。いつもお金のためにあくせく働いているようでは、政治についても社会についても考える余裕はない。自分のことだけでなく、他人のことも考えられるようになるためには、お金に追われることのない生活が必要である。

資本主義を貫く倫理は勤勉であるが、重農主義を貫く倫理は仕事への愛である。農家は農業を愛し、作物を愛する。仕事を愛し、そこに楽しみを見出すことが重農主義の倫理である。

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