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ずぶぬれのあたたかさ

着替えなんて持ってきていなかったから、濡れたTシャツとジーンズのまま、大通りを歩いていた。

財布の中には230円。なんとか帰りの電車賃だけある。駅まで徒歩30分。

「つかれた・・・」

はじめて訪れた球場をあとにして、駅まで歩を進めるしかない状況に、足はどんどん重くなる。

幸いにも雨はやんでいたが、たよりない暖かさしかない季節だから、なかなか洋服は乾いてくれない。

「こんなんだったら、もう少し長く居ればよかったな・・・」

とか考えていたら、コンビニが見えたので思わず近寄る。しかし、ATMにもお金はないことに気づく。

引き出し最低残高と手数料は、いつまでたっても敵である。


ふと視線を歩道に戻すと、コンビニの前にバス停があった。バス時間を確認すると一時間後にバスがくるらしい。ふっと力がぬけ、バス停のベンチに座る。

「もう歩けない・・・」

お腹が空いているがパンをかったら、家まで帰れない。途方に暮れながらバスを待って、何台もの車を見送った。


そのとき、目の前をタクシーが通った。なんと私は、手を挙げてしまっている。心の底からの欲求が、条件反射となってタクシーを呼び止めてしまったのだ。

バンっとタクシーのドアが開き、後部座席に吸い込まれ、気がつくとタクシーは発射していた。

「○○駅までお願いします」

「はい」

と、言葉をかわしてから、なんだか心地よくなって、今日の出来事を運転手さんに話し出していた。

「今日、そこの球場で客席案内のバイトをしていたんです。そうしたら、ここの球場は有料席に屋根がついてなくて。雨が降っていたじゃないですか、今日。もう、お客さんは怒るし、自分は濡れるしで散々で。」

誰かに愚痴を言いたかったのだ、たぶん。勢いづいて、話が止まらない。

「しかも、私の名前は××っていうんですけど、休憩が名前順で。最後の休憩がなくなっちゃって。一日中立ちっぱなしで、お客さんに、この雨の中『傘ささないでください』って言わないと、派遣先の上司に怒られるし、しんどかったんです。

そして球場から帰ろうとしたら、今日は休日でバスが走ってなくて。行きは、駅から派遣先の人が車で球場まで乗せてくれたのに、帰りは自力でって。

でも、『延長してあと1時間仕事してくれたら、乗せていきます』とは言われたんですが、最後の片づけは会場器具の持ち運びで。『重いので女性は無理しないでください』と・・・」

泣きだしたくなるのをこらえながら、オバちゃんとオッちゃんの『傘が邪魔して選手がみえない論争』を仲介したことや、酔っぱらいにからまれたこと、自由席の案内係は屋根がついているし『そもそも自由席』だから案内は立っているだけでいいこと、を思い出す。

一通り話し終わると、ぼーっとタクシーの外を眺めていた。

そうしたら、タクシーが思ってもいない方向へ進んでいく。

「え?運転手さん!!!ちょっと待ってくださいよ」と言いながら、イエローキャブの話が頭を巡る。まあここは日本なのだが。


不安にかられ運転席の方に目を向けると、やさしそうな笑みを浮かべながら、運転手さんはメーターをとめてくれた。

そのまま駅のあんまり人目につかない所にタクシーをとめて、「おつかれさん!降りな!!」と、ぶっきらぼうに話す。

まだ動揺している私に、運転手さんは「俺もさ、若いころ北海道に行ったときにね、途方に暮れて、金もないのに思わずタクシーとめちゃってさ。助けてもらったことがあったんだ。」と恥ずかしそうに言い、目をそらした。

「あ、ありがとうございます。じゃあ、ここのタクシー会社を皆に宣伝します。本当にありがとうございました。」

「いやいや、変な運転手もいるから、そんなことしなくていいよ。気をつけてな。」

感激して疲れもわすれ、できる限りのお礼を言った。

タクシーから降りる前に、運転手さんの名前を控えておこうと思い、助手席の名札をみたら「恩田」と書いてあった。

雨の日のタクシーを見ると思い出す、恩田さん。

今でもきっと彼は、タクシーに人を乗せ、恩をふりまいているのだろう。

わたしも、仕事を通して人に幸せを届けるようになりたい。

ありがとう恩田さん。がんばるよ。




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