イグBFC2感想【グループG】
イグBFCというイベントは自分にとってとても楽しいものでした。ここには、計88通りの狂い小説の可能性が眠っています。
草の根イグの一環として、狂いの可能性を探っていくために感想を書いていきたいと思います。もし何か問題がありましたら、灰沢までお問い合わせください。よろしくお願いします。
飯塚
優勝作です。声に出して読みたい日本語というのが昔ありましたが、この作品は完全にそれでした。朗読をいろんな方があげていましたが、朗読されると面白さが100倍くらい増す感じがしました。音読されることを前提に小説を書いていた人は、イグの大会では他にいなかったのではないかと思います。読むのではなく聞くという別ゲーを仕掛けてきたことが優勝の要因だったのだなと思いました。それにしても、「チョンボッコ」は一番の発明です。シチュエーションや形式は思いつけても、「チョンボッコ」には辿り着けないなと思います。「ボ」はどこから来たのか。「ポ」から来たのでしょうか。ありえないはずの「ボ」がくっつき「チョンボッコ」という語が爆誕した時点でリズムが生まれ、音楽が生まれ、小説が生まれる。そうした小説の誕生に立ち会うことができ、よかったです。
わたしを嫌いなひとなんている訳がない
老婆巻き添え小説でした。ニュースを見ていると「そんなことで?」というような動機で犯罪を犯した人間が取り上げられることがあります。しかしその背後にはさまざまなしがらみや苛立ち、ストレスがあり、犯罪はそうしたものの集積として生じるのだという意見があります。私を嫌いな人がいる訳ないという断定は、語りの端々に染み出る嘲りの意識に浸透していく。そのスイッチが論理的に説明できないからこそ老婆は蹴られるのです。いや、もしかしたらそんなことは関係なく、自分が拾う予定だった蜜柑を拾われていたという理由だけで老婆は蹴られたのかもしれません。そうしたねじれを感じることができてよかったです。
おれは、のろけ話なら永遠にできる男だ
見に行ったら取り下げられていました。記憶を頼りに書くと、わたしと彼女のやりとりが書かれ、人生とても楽しく、ハッピーです! というようなのろけが展開されていたと思います。雑な要約ですみません。のろけについて考えてみると、まずのろけとは基本的に私的な行為です。公的なのろけはありえません。三人称的なのろけはありえないわけです。永遠にのろけ話ができる人間はもう神の視点を獲得しているとすらいえるわけで、次第に超越的なのろけが展開されていくお話もありかもしれないな……と思いました。文学賞の受賞が、次第に神話へと変わっていく道筋です。記憶を頼りに書いたのでざっくりしすぎていてすみません……
ハンマー
槃ボウ・摩ーボウでめちゃ笑いました。ノリがハリウッドザコシショウの古畑モノマネに出てくるハンマーカンマーといっしょで個人的なツボでした。最後の、「いまだ姿を変え続ける新世界は、寄る辺なく震えていて、おれたちの天気予報を必要としていた。」は素晴らしかったです。ハン魔ー・ディーゼルが魔法陣の効果で槃ボウ・摩ーボウになり、世界に天気予報が始まる……理解できないほうが悪いと言わんばかりの展開です。ナツ緒がハン魔ー・ディーゼルの生き方以外できなくなったと、ハン魔ー・ディーゼルというものがあるのだと自明視してるところも微妙に変で面白かったです。とにかく槃ボウ・摩ーボウで血と暴力にまみれた世界に新たな、希望であるかどうかはまだわからない存在が降り立つというところに大きなロマンを感じ、よかったです。
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