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「全ての教員に経験を」

 令和4年3月15日、文部科学省(以下、文科省)から
 特別支援教育「全ての新規採用教員が10年目までに2年以上、特別支援学校などでの指導を経験するべきだ」
との有識者会議での報告書案を大筋取りまとめたとの発表会見があった。
 文科省の調査によると(引用元 文科省)障害のある児童生徒の数が平成22年度以降、右肩上がりで推移していることなどから、検討会議にて
 「特別支援教育は特定の教員だけの課題ではない」
とし、特別支援教育への知識や理解を幅広く持つべきとだと述べ、また教員の確保とともに質の担保が今後の課題となると示した。

 今回の発表を受け、少し暴力的すぎないかとの印象を受けた。

 もちろん各専門家の方々が知恵を出し合って、意見などをすり合わせた結果なのだろうから、専門知識を持ち合わせていない筆者には、到底理解が及ぶものでもないのかもしれない。
 しかし、そんな筆者でもこれは危険だと思ってしまう内容だと感じた次第である。
 少し長くなりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

 まずはじめに、先述にてこの内容が少し暴力的すぎないかと表現させていただいたのには訳がある。
(最後まで読んでいただけたら、理解できると思っているので、説明は省かせていただく)

(地方公務員法第三十二条 職員は、その職務を遂行するに当って、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規定に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない)
 と法で定められており、教員には拒否権がない。
(少し乱暴ではあるが、上記を踏まえると必然的に強制となるため、強制的と表現させていただいている)
 そのことを理解している中で、10年以内に2年以上、強制的に職務に就かせようとしていること。
 これは、果たして良い結果をもたらすのかという疑問が浮かんだ。

 別の記事でも記載したが、昨今において教員不足が解消されておらず、それに相まって先述したように、特別支援教育を必要とする児童生徒の上昇傾向。
 令和2年度、特別支援学校での児童生徒が144、823人
 令和2年度、特別支援学級での児童生徒が302,473人
 (引用元 文部科学省 特別支援教育の現状

 国も理解している通り、専門性の高い分野であって、だれもができるものでもない。
 そのため、専門知識も必要とし、特別支援学校教諭免許という差別化がされているわけだ。
 そんな中、「教員になればとりあえず体験しなさい」とはいかがなものかと、首を傾げた方も多いと思う。

 実際に個人の感想という形で、教員の方たちの声も伺っている。
 あくまで筆者の活動の参考程度にと、相手の方に了承してもらい
 「正直むりがあるかな」
 「少し踏み込んだという印象を受けた」
などの意見を賜った。

 発表の翌日には、文科省に問い合わせしたが
 「まだ決まってはいないが、大筋とりまとめということでこのまま進めていく方向だろう」と回答。
 いろいろ懸念すべきところがあることを伝えたが
 「とりあえず始めてから模索しつつ、改善するところは改善していくことと思われる」と事後に対応すればいいと感じる返答だった。

 知識や理解を全教員が持とうという志には大変共感できるのだが、やり方が少し違う気がしてしまう。

 筆者が懸念していることをいくつかあげてみよう。

 ・10年以内に2年以上と強制的に勤務させることについて
 ・望まない職務を強制された教員のメンタル面
 ・メリット、デメリット
 ・発表にもあった教員の質の担保や児童生徒にかかる負担
 ・結果教職員の新規参入を減少させてしまわないか

 などなど、ほかにもあるが、やはりこの辺りが主な懸念材料になるのではないかと思う。

 まず初めに、10年以内に2年以上強制的に勤務させることについて。

 教員の方や、今から教員になるため勉強している人などで、特別教育の分野を視野に入れてない方々も当然いることと思う。
 実際に匿名掲示板などでの書き込みを拝見したが、ひどい表現をしている方たちもいたりする。
 理解できない人や気持ち悪いと思っている人たちもいた。
(筆者は障害を持った人に対して理解しているし、自身の子供も特別支援学校に預けてもいる)
 別にその人たちを責めたり、悪だとは言うつもりもない。
 だけど、メディアでも取り上げられたように、児童生徒に罵声を浴びせ、暴力で傷つけたりする人もいる。
 これは他人がどうこう言っても解決できる問題ではないし、自分でしか解決できない問題だろう。

 その分野に関わりたくないという人たちにも、このように強制的に勤務させるとなると、いろんな問題が出てくるのは明白だ。

 その中でも、筆者が特に懸念しているのは、対する児童生徒への影響。
 もちろんそれだけに留まるとは思ってはいないが、やはり子供たちが心配になってしまう。

 障害を持っていない子供たちもそうだが、支援教育を必要とする子供たちは過敏な子供が多いと感じた。
 筆者の子もそうだが、大人の感情や態度など、感じ取りやすい傾向がみられる。
 そんな子供たちを担当する教員が、大人の都合で嫌だとか気持ち悪いなど、負の感情を抱いたまま接することが果たして健全なのだろうか。

 人格形成に多大な影響を受ける大事な時期でもある中、子供たちが負の感情の矛先にならないか、心配で仕方ない。

 人には感情のキャパがあり、それぞれ大きさも違うだろう。
 それが1年なのか10年なのかは、本人も意外とわからないものだ。

 既存の教員は我慢できてるかもしれないが、新たに来た人はその限りではない。
 以前の勤務地ですでにキャパオーバー寸前の状態で赴任してきた可能性もある。
「一般校から病んだ教員のリハビリに支援学校があてがわれる」
などの意見も多く見てきた。
 いろいろな感情が相まって、もしかしたら赴任後すぐにキャパオーバーしてしまうかもしれない。

 文科省の精神疾患を患った全教員の年数別調査によると、1年以上2年未満が23.3%と最も多く、3年目までには全体の7割近くを占め、3人に2人との結果が出ている。(引用元 文科省 人事状況調査結果

 他の教員はできているんだからと同調性を求められたり、同調圧力がかかることも多いと聞く。
 こういう問題が当たり前のように起きてる中、関わりたくないと思っているのに、気持ちとは裏腹に職務に就かないといけないとなると、ストレスを感じずにはいられないことだろう。
 「どこの企業でもあることだ」といいたい気持ちは筆者も理解はできるが、そんな単純な話でもない。
 ストレス含むいろんなものを、本人だけで解決できればそれでいいが、やはり矛先となりうる児童生徒や教員の方々の心身の問題も懸念すべきだ。

 実際ストレスの矛先が児童生徒や、その他教員たちに向いてしまった悲しい事件は、昨今のニュースでも多く扱われている。
 やはり楽観視できるようなことではないだろう。

 また、特別支援学校は多くのところでチームティーチングを採用しており、複数人のチームで業務を行っている。
 そんな中、負の感情を抱いてたり、やる気のない方が入ってくると、やはり支障をきたしてしまう恐れもある。

 特別教育に自ら志望し、熱意をもって一生懸命されている方たちも多くいるはずだ。
 その方たちにしてみれば、正直迷惑でもあるだろうし、預ける親の立場からしてもやはり信頼できないのが正直なところだとおもう。
 付け焼刃で対応できるのなら、そもそも専門性を持つ意味がないし、そのような考えは専門教員への侮辱にもなり兼ねる。失礼極まりない。 

 文科省が課題とする「教員の質の担保」も、このようなやり方では到底かなわないことは火を見るより明らかであり、仮にこのままこの案を進めたとき、望まない教員や周りの教員、児童生徒たちへのケアはどう考えているのだろうか。

 そもそも、現状起きている数々の問題も放置し、なんら解決できてないのに、新たな取り組みが機能するはずがないのだ。

 長年上昇傾向にあることも調査で判明しておきながら、対策を怠ってきた事を棚に上げ、あたかも支援児童数上昇が原因みたいな言い方も腹立たしいし、図々しくも
「個々の障害に応じた教育へのニーズの高まりとともに、特別支援学級が設置されている小中学校などは8割を超えていますが、特別支援教育の経験がある校長は3割に満たず、特別支援学級の教員は年度ごとに採用される非正規教員の割合が高く長期的な育成が困難な状況が課題となっている」
などという始末。

 長期的な育成ができない理由は何か、ちゃんと状況を把握し対策していれば、今よりは幾分もマシだっただろう。
 別紙でも書いたが、やはり賃金について考えるべきだと思う。

 4月から給特法の改正についてのアンケート調査をやるみたいだが、正直今の状況からするとあまり期待はしていない。
 それよりもまず、基本的な給料を上げるとか、残業代を払うなどそのあたりの問題を解決すれば、少しは改善されるのではないかと筆者は思うし、多くの教員たちがそう願っていることだろう。
 特に、特別支援教員に関してはひどすぎると感じた事を挙げる。

 「月手取り25万で、毎月教材費に数万円自己負担。正直モチベーションたもてない」

 このようなことが実際各地にて常習化されている。
 当然、業務に係る費用なので経費で落とすのが当然であると思うし、文科省に問い合わせたところ
「各自治体に裁量を委ねているので、こちらから口は出せないので各委員会に問合せしてください」と知らん顔だ。
 委員会にも問合せした結果
「こちらの地域ではそのような報告は上がっていないとのこと。しかし、そのようなことが本当に起きているのであれば、あってはならない」と他人事のような返答をしてきた。
 しかし、その地域の方に尋ねたところ、実費で負担してるし、ほとんどの方が自己負担しているのではないかと言っていた。金額は人によるらしい。

 話を伺う限り、どうやら学校内や委員会で実態を隠しているみたいだ。
 とある委員会では
「確かに支援学校の特性上、それぞれに寄り添った教育をしていくので、それに必要な教材なども変わってくるかと。学校の予算が足りなくそのような対応になっているのかとおもわれる」と悪びれる様子もなく答えた。

 このようなことが常習化されているのが今の教育環境。
 長期的な教育ができないのも納得できる。

 メリットについても問いたい。
 文科省いわく「支援教育の学科を勉強すれば、採用試験時に加点する」と発表していたが、正直「馬面に人参」みたいなことが良いのかどうか。
 単位欲しさにただ勉強するだけの人も増えるし、その結果がのちに直接還元される保証もない。返って質の悪い職員を増やすことになるのではないかと危惧してしまう。

 そんなことよりも、例えばこういう案ならどうだろう。
 強制的ではなく、自主的に支援教育の勉強をし実務を優秀評価で最低2年以上勤めたら、特別ボーナスが出るとか、退職金に加算されるとかで意欲を掻き立てる。この方が健全な気がするのは筆者だけだろうか。

 「何でも金か」とか、「いやらしい」とか思うかもしれないが、教員の方たちもビジネスであることは事実であるし(一部の方達を除く)、少なくとも嫌々する人もいなければ、いい加減な人もゼロとは言わないが、いなくなるのではないかと考えてしまう。
 「別に支援教育でもいいけど、大変だとよく聞くし」と後ろ向きになっている人もいるだろうし、お金の為と自分で折り合いを付ける人も出てくるだろう。
 預けてる親としてもまだ安心できるし、この案を通すよりはまだ、質のいい教員の確保にもつながるのではないかと、勝手に期待してしまった。

 それに、動機は何であれ、支援教育を目指す人や視野に入れる人が増えれば、幅広く知識を持たせられるという目的も達成できそうだ。
 そうすることで、教員たちのケアや、児童生徒に対してのケアも少しは減らせることと思う。
そう考えると、やはり賃金等、予算をもっと増やさなければいけない。

 ここで一つ、車に置き換えて考えてみよう。

 車自体が教職員の方々。
 運転手は行政や各所(教育委員会や文科省など)。
 車の健康状態(教員のメンタル)。
 修理・整備(メンタルケア、残業手当)。
 事故(ストレスの矛先、児童生徒やその他関係者)。
 ただ走れと運転手がアクセルを踏んでも走らないだろう。燃料(賃金)が当然かかる。
 燃料を定期的に補充するだけで、この先走り続けられるだろうか?

 何もせずに壊れるまで走らせれば可能かもしれない。だが止まったらもう動かなくなってしまう可能性も。(長時間残業。精神疾患)

 車も疲れる。タイヤがすり減ったりライトが切れたり、どこからか壊れていく。
 では、放置して無理に走り続けさせるとどうなる。当然停止したり、最悪は動かなくなることも。

 ではそうならないようにはどうしたら?整備したりするのではないか?
 では整備している間は?
 台車(代わりの職員)は補填できるのか?
 現状では少しなら対応可能かもしれないが、想定を上回ったら?できないのが今の状況だ。
 運転手は性能(質)などを求める割に安く済まそうとし、お金をかけて性能をあげようとしない。
 いくつも異常を起こしているのに、表面的に見える所だけを整備したらあとは大丈夫と、根本から目をそらす始末。
 過去の事例と比較し以前は大丈夫だったと勝手に決めつける。

 車にも個体差が当然あります。走る環境(勤め先)や使用方法(業務内容)。
 丁寧に整備すれば長く使えるし、酷使すれば当然壊れるのも早いでしょう。
 後部座席に座るのは児童生徒たちだ。どちらが安心できるだろうか。
 お金をかけて丁寧に整備され性能が担保された車と、そうでない見せかけだけの整備を施した性能が不安定な車。
 乗せるなら性能が担保された車だと筆者は思うし、後部座席も安心して乗車できるのではないだろうか。
 予算(今以上に賃金や手当、賞与や退職金)があれば量産(教員募集)もできるし、今起きている問題も幾分かは解消されるのではないか?

 教員がふえたら分担できるし、残業も減っていく。
 教員の方たちの負担も軽減され、余裕が出てくる。
 結果、教育環境の質も今よりかは上がるだろうし、文科省も問題視している精神疾患を患う教員の解消にもつながっていくのではないだろうか。

 今回のこの案、発表によると今月中にまとめるとのこと。
 このような案が発表から2週間ほどで決めて良いわけがない。
 このまま素通りさせるべきではないと筆者は思うし、声を挙げていきたいと思う。
 これを見て共感していただけたら、同じように声を挙げていただきたい。
 大人の都合に振り回されるのは、いつも子供たちなのです。

 筆者が幼き日に感銘を受けた言葉がある。

 「どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ」
 幼心ながら胸の高鳴りを覚えたこと、今でも鮮明に記憶している。

 人もまた同じと感じたし、筆者もこう思った。

 教師とは彫刻家であり原石でもあると。
 児童生徒とは原石であり彫刻家でもあると。
 生徒の光るところを見出し輝かせる、これが教師である。
 教師に成長していく姿を見せ輝かせる、これが生徒である。

 誰にでもできる仕事ではないと思うし、本当に素晴らしい仕事だと思う。
 教師につかれる方々、これから目指す方々が、このような案で進むべき道を間違えたり、あきらめたりすることはあってほしくないし、阻止するべきだ。
 このような職に就かれる方々には、誇らしく、堂々たる姿でいていただきたい事と、たくさんの可能性を秘めた未来に歩んでいく子供たちの模範であることを強く願い、終わらせていただこうと思う。




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