見出し画像

クソマロが届く日日を思い出す日日1月6日

某新型のコロ助が流行ってから、ネット上ではデマなのかわからない情報が錯綜している。医師がいうのだから間違いないとリツイートし、別の方が訂正しまわるという地獄絵図だった。私ふくめて知識のない素人は何が真実かわからない。自分に都合の良い情報を取捨選択し、なんとか生き延びるしかない日が今でも続いている。

古のネットユーザーは、すぐにソースを求める。私も例外ではなく、「その根拠は?ソースを出せ」など某掲示板のような態度になってしまうのだが、こういう日記を書くときはどこまでソースを提示すればよいのかと悩んでいる。
クソマロの内容は引用として記載しているが、例えばクソマロ主探しの中で「○○左右相手完全固定強火過激派 竹刀じゃ人は殺せない、木刀取ってきます」ってヘッダーにしてた人がいたな、という話をしたとき、「でっちあげるな、ソースはどこだ」となるわけだ。もちろん、スクショは持っているのだが、それをソースとして貼り付けるべきかと悩む。クソマロ主は後半になってくると、今度は逆カプに対しての憎しみを抱いている様子がわかるので、「アニメの特定の話に固執している」「逆カプに深い憎しみがある」という属性、加えて特徴的な文章による考察が始まるわけだ。
何度もいうが、私は当時、かなり忙殺されていたために、私よりも怒りを覚え、私よりもネットシステムに詳しい同居人が主にクソマロ主を探していた。

最近は警察でも筆跡鑑定ならぬ、文章鑑定があるという。

私も文章を生業としている端くれなので、様々な人の文章を校正してきたのだが、文書の癖は必ず存在する。これは日本語特有なのかもしれないが、日本語は英語と違って主語述語の順番はさほど重要ではない。文法によっては誤読が生じやすくなることもあるが、基本的には通じる。そういう日本語で書かれた口語調の文章は自由度が高く、また、それゆえに個性も反映される。
とはいっても文章鑑定屋ではないので、私の推理など素人も同然。そこで、文章鑑定するツールがあるというので、そのうちそれを使用してもよいと考えている。大学の研究でも用いられたというそのツールが、どこまで制度が高いのかという好奇心もある。今はタスク的に下位なので暇ならやろうという状態だ。もしかすると、そういうガジェット好きな同居人にヒマを与えれば勝手にやりだすかもしれない。

私としては、クロマロ主が単体だろうが複数体だろうが関係ない。匿名性の中で、数は意味をなさない。クソマロ主という概念が一個となり、言葉の武器を使い攻撃してくる。

さて、5月25日に微妙なクソマロを送ってきてから1日をあけて、27日に以下のようなクソマロが送られてきた。これは大変興味深いので、少し長いが目を通していただければ幸いだ。

ここから先は

5,267字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?