「使いにくい人」の烙印を押された代償とは?
こだわるのはそこじゃない
新書の初校が終わった。
新人著者さんは、こちらの修正を素直に受け入れてくれたので、スムーズに校正作業を進められた。
執筆歴30年になる私も、編集者の加筆修正はすんなり受け入れる。
意外かもしれないが、文章を直されたからと、ごねたことはない。
何故なら、編集者はプロだし、修正によって作品のクオリティが上がれば良いと思うからだ。
ヘンに作家風吹かせてイチャモンつけるより、仕事がスムーズにいくほうが互いにストレスがない。
だいたいそんな人と、「また仕事したい」なんて誰が思うだろう?
いくら文才があっても、私はごめんだ。
そんな小さいプライドにこだわるより、編集者の客観的視点をもって作品のクオリティを上げ、本が売れたほうがずっといい。
ドライというか、商業的というか、私はそういう考えをもって仕事をしている。
もちろん、あまりにおかしな修正の場合は相談するけれど。
「使いにくい人」にならないために
無論、プライドはあったほうがいい。
でもそれに固執し過ぎると、「使いにくい人」になる。
媚びる必要はない。
だが自分を押し通すのは、大人とはいえない。
こちらの記事でも書いたが、他者が主軸のプライドが勝っている人は、自己効力感が低い。
つまり自信がない。
だから吠える。
そんな人を嫌というほど見てきた。
結局は「使いにくい人」という焼印を押され、仕事を失う羽目に。
悲しいかな、プライドでお金は稼げないし、いい仕事も得られない。
歳を重ねると、自分はそんなつもりじゃなくても、相手は勝手に大御所だと思い込む節がある。
その時点で既にハードルが上がってるのに、妙なプライドを持ち出したら……、そりゃ使おうなんて思わないだろう。
誰にも文章を直されたくないなら、ブログを書けばいい。
今は自費出版だってある。
しかし、悲しいかな、それらは自己満足で終わってしまう。
繰り返しになるが、プライドでお金は稼げない。
「使いにくい人」の焼印の代償は、想像以上に大きい。
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