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「条件付きの愛」はもういらない


私のように生きづらさを抱えたアダルトチルドレンの多くは、「条件付きの愛」を受けて育っていることが多い。

親が望む通りの優等生として、
親が決めた学校に入学し、
親が誇りに思える名が知れた企業に入社し、
親が自慢できる相手(有名大学卒&大企業勤務)と結婚し、
親が喜ぶかわいい孫を生む。

これがいわゆる「条件付きの愛を与える親」が望むゴールデンコースである。

私の場合、3つ目までは何とかギリギリでクリアしたが、その後は親(母)が最も望まない方向へシフトした。
母からは「私の言う通りにしないから」「あんたの性格が悪いから」とよく言われたが、それは暗に「私の望む通りに育たなかった」と言いたかったのだろう。
その言葉は心をむしばみ、長きに渡って「生きづらさ」という鎖付きの重りで人生を縛りつけた。

つい最近まで自己受容ができず、「何か役に立たないと愛されない」という思い込みに縛られてきたのは、「条件付きの愛」しか知らなかったから。
仕事において結果を出さないと気が済まなかったのも、「成果を出さないと認めてもらえない」という不安がどこかにあったからだ。

そんな話を友人にした時、こんな言葉がかえってきた。

「役に立とうとしなくていい。役に立つから、つきあっているワケじゃない」

役に立たなくても、結果を出さずとも自分と一緒にいたいと思ってくれる人がいるんだと知った時、「もう条件付きの愛」を求めるのはやめようと心から思えた。
自分の周りにいるすべての人が、私に何らかの条件を求めているわけではない。
そのままの自分を受容してくれる人もいる。
それだけで十分だと思えるようになった。

自己受容ができると、相手のことも受容でき、信頼することができる。
生きづらさからも徐々に開放され、コミュニケーションが円滑になる。
そうなると、すべてがうまく回りだす。

「条件付きの愛」は、その条件を満たしている時でしか愛は与えられない。
条件を外れた途端、愛を注ぐ対象から外れてしまう。
それを求める限り、むなしさはずっとつきまとい、生きづらさからも解放されることはない。

もう「条件付きの愛」はいらない。
役に立たなくたっていい。
ありのままの自分を受け入れ、愛してやればいい。

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