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異性考

異性考

男勝り(いきなり死語)の女性がビールジョッキ片手に(してなくてもいいけど)、タバコをもう片方の指に(してなくてもいいけど)、「あたし、中身男だから」と言うのに対して男たちは抵抗なく頷いて、たしかにそうかもなあと安易に受け入れるものだが、逆に男が(たとえば私が)、「中身けっこう女なんだよね」ともし呟いたとしたら、女の何がわかって言ってるわけ?と不寛容な素振りを見せる女性が少なくない。
性が一致しない苦悩を抱える人はたくさんいるが、その、自分は本来女性(男性)なのだと思うという、その本来の性とは一体何なのだろうか。なんだと思っているのだろうか。

クロスドレスやトランスの人たちの中での、女性性を強調する華美で肌の露出度の高い格好をしたがる人の割合は、もともと女性にあって女性性を前面に出して仕事をする女性の割合より、有意に高いと思える。彼ら(あえて彼と呼んでおく)にかかると女性はみな娼婦なのかと思える。娼婦でもここまではしないだろうとさえ思う。
これはつまり、男性そのものなのだとはいえまいか。彼らは女性というものを勘違いしているのではなく、男性の欲望丸出しでそうなると見るべきと思う。
逆はどうか。男性になりたい女性はホルモンを打ったりしてヒゲを生やしたがる。社会的制約だとしても、男性でヒゲは少ないというのに。それでも、このような「見てくれ」への執着は、mtf(男性→女性)よりはだいぶおとなしい。
そもそも男性のほうが見た目のバリエーションは少ない。化粧もしないし(する人は少ないし)スカートを履かない(履く人は滅多にいない)。それらを反映して、ftm(女性→男性)の身なりはおとなしいのだろうか。

男性で男性が好き、男性のままで異性装をしている、トランスしているが華美な格好をしたがる、そういう同じ傾向のカップルで長続きしているのを見たことがない。互いに男性だったり、男性性が残っていると、そのようなつがいは安定しないように見える。逆に女性のままで恋愛対象が女性というビアンのカップルは安定しているように見える。

これらをつなぎ合わせると、もともとにある男と女の違いが大きいように思える。つまり男は性の欲望が強く、漁りにいこうとする狩人であり、女たちはそうではない。そういう決定的とも言える違い。

いやいやそんなことはない、女にも性欲はある、同じくらいあるはずだと頑張ってくれる女性も少なからずいるが、まさに、男の何を知っているのかとここでは言っておきたい。

補記
男勝りに限らず、性に依拠する言葉は昨今、どんどん使いにくくなっている。女々しい、女の腐ったようなやつ、(男は)男らしく、(女は)女らしくとか、不用意には使えない。いや、ほぼ使えない。
身体の違いに基づく性質は、あるだろう。あるだろうが、背の高さと筋力くらいしか差はなく、それも平均値であって、それぞれを見ていけば一概にいえるはずもない。
という認識に基づくのだろうが、先日、ある女性がこんなことを言っていた。前後の文脈は覚えていないが、

「重いものを持てるだけで(男のことを)尊敬するわ」。

たかが荷物、されど荷物。たかが骨格、されど骨格。時代はこの違いを小さいと見做したくてしょうがないわけだが、さてどうだろう。たいへんなのは骨格の細い人たちだ。そのたいへんさは見捨てておけない、と思うんだが、これは果たして男性的?


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