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春爛漫を詠めるか

その単語だけで大きくて、きれいなイメージが湧き出てしまうもの、それはきっと手垢もついているので、使うときはよほど気をつけないといけないといったことがありますが、それの筆頭として挙げたいのは春爛漫ですね。次いで遠花火、星月夜、熱帯夜、流れ星とか。事実、春爛漫を使った俳句はとても少ない。俳人たちは同じ警戒をしてきたにちがいありません。

春爛漫には実は苦い思い出があります。若い頃、句会にこの言葉を使って投句したら、メタメタに叩かれた。こんな言葉を使ったらだめだと。こけおどしであると。頼ってると。一票も入らなかったんだからいいじゃないか、見逃してくれと思うくらい、それはもう、じゃあここで死にます、といいたかったくらいのボロカス。

遠花火にもありましたね。けちょんけちょん。

どどおんと愛し一畳遠花火

どうでしょうね、これ。だめですよね。うん、だめだとおもう。フォークの「神田川」の一節のような風景なんですが、それもだめ。いや、それがだめ、貧乏くさいし、ありふれている、というケチョン。擬音語も下手くそだともうひとつケチョン。

星月夜すべてのひとを平らにし

大きな言葉に大きなイメージを持ってきて、これも失敗。でも、とってくれた同人は何人かいて、好きだといってももらえました。自分としてはけっこう好きな俳句。星月夜に拮抗する七五だったかどうかはわかりませんが、満天の星の前に人の違いや多様なんて、吹けば飛ぶようなもの、というちょっとリクツめいたところが、好みの分かれるところなのでしょう。

熱帯夜ふたりの形(なり)の凹みかな

これも健闘しているんじゃないのと自分では思っている句。なにせ熱帯夜ですからね。イメージ、ドバッときてる。

熱帯夜——。

倉本聰の脚本のようですが、これだけでもう、余計な七も五も要らない構えができてしまっている。それに拮抗しようとしたというよりも、熱帯夜の溢れ出るイメージに傅いたような七五。

春爛漫は、ボロカス以来実に30年、どうもうまくいかない。でも、詠みたくてしょうがない。春爛漫の向こうを張れる七音と五音を見つけたい。そういう野望にかられてきた。

春爛漫トッポい女が湧く都電
駅といへばどの駅ですか春爛漫
膝を刻む生きた痕跡春爛漫
春爛漫窓に香を聞く身半分
脇役といふもの在らず春爛漫
紊るるや我も風物春爛漫

これまでに、いくつか詠んでますが、春爛漫を捉えたかどうか。捉えてねじ伏せるくらいの言い回しができていたかどうか。
さらに、俳句だけでは飽き足らず、短歌で試したりもしている。

春爛漫是非も正否も要りませんともに眺める友がいるなら

なんて、つまんないことを歌ってしまう。
春爛漫の季節にこれが気になり始めると、すんなりと五七や七五が先にできて、あとから季語を選ぶという順になるときに、しっくりきてる他の季語をどかして春爛漫を座らせたくなる。よくできた七五ほどそうなる。これはよくないことだなと思いあたり、次の句で春爛漫は打ち止めにします。

春爛漫たまごがつるっとむけました

(また来年になると、詠んでるかもしれませんが:笑)

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