見出し画像

俳句夜話(9)幻想俳句集団「む」の奇妙な俳句 さらっと解説編

さらっと解説をつけてみましょう。

1 立春や女の首の落ちる音

2 居住まいを正し暦へ火を放つ

3 エプロンのまま夕焼けを泣いたまま

49 半月の不在コトコト煮ています

詩人、田中久美子。「立春」はいい悪いで論争になった。女が女になるとき女はからだになる、論理や理性を落として感性になる、といった句意だろうとおもうのだが、ありきたりだ、いやストンとした落ちが小気味いい、という物議を醸した。私は褒めた派。形からみると、古池やと同じ、オマージュではないかといってもいいくらい。上五の「や」切れと何かの音。む印俳句8年間の7500句から選んで1番手に持ってきたかった俳句。
「居住まい」はファンが多い。わたしも好み。彼女の詩を知ってると、彼女らしいと呼べる俳句。時間の呪縛から逃れるにあたって、礼節を持ってそれを行いたい。そんな詩情。
「エプロン」はセンチにも見えるけど、次の「不在コトコト」とも似て、案外泣くだけ泣いたら舌をペロッと出してるふうでもある。
彼女はいい意味でもわるい意味でも、女(性性)からは離れようとしない。

4 高すぎる青すぎる空 始業式

5 揺れている女から夏ローカル線

6 鮭の川沈んでいるのは夜ばかり

7 冬晴れはコカコーラから骨の音

44 日蝕が始まっている白い妻

46 東京にテトリスの雨積みあがる

56 ケチャップを買いに出かけた姉は誰

コピーライター、滝口千恵。何の変哲もないようでいて、読むものに小さいけれども鉤裂きみたいなものを確実に作る。ひっかかる。広告コピーの手法でもあるのだろう。私は句会中で、この4~7と56はぜんぶとったことをよく覚えている。(ほかの二つは歳時記用の書き下ろし)
「始業式」は三好達治のようだし、「ローカル線」は室生犀星のよう。抽象と具象ぎりぎりのところでイメージを結ぶ。主語受けが多いのは広告屋の特徴かもしれない。「ケチャップ」はひっかけながら、実験としては高い評価を得た。ほかの俳句結社ではゴミ箱いきだろうけれども。

8 スカーフを巻く指先の自暴自棄

9 家中の匂い担いで父不在

10 十月のあくびの底の不幸せ

42 虫かごはむしの死ぬのを待っている

43 二の腕に声染みついて妊りぬ

45 寂しさが足りない夜の紅は濃し

主婦、春海のたり。当時もう50代後半だったんじゃないかな。まあ、ただの主婦ではない。流さんの占星学のお弟子で、旦那はNHKのけっこうなえらいさんだった。む印で唯一、伝統俳句系の洗礼を受けている人で、等身大でありながら、生活感を出しながら、ふと世界をパラレルにずらすのが得意。これはなかなかできそうでできない。
「自暴自棄」は驚いた。こんな使い方があるのかと思った。上五、中七を完全に裏切るどんでん返し。それも完全な抽象で熟語。そのスカーフを巻いて、いったい彼女はどこに出かけだれと逢うのか。
「あくびの底」「二の腕」「紅は濃し」など、女流川柳作家と比べてまったく遜色ない実力だろう。

31 はなびらに仮寝の吐息ふさがるる

32 ふれてみたいくちびるみぎのめでなめる

33 衿足の翳る時刻や猫まるく

34 凪いでいる皮膚なめらかに自涜する

35 姦淫の鍵の在り処や臍(ほぞ)狭き

36 まだ死なぬ蜻蛉うすはね裂けている

60 満ちて夜湯のごときものほとばしる

編集者、薦田愛。人権主義者、完全無欠の左。言葉がやや難解でとっつきにくいけど、む印の幻想傾向と俳句の伝統とがもっとも高い位置で融合されている。季語は用いないが、前衛そのものにはならず、繊細でありながら、はっきりとした意志で生きている感触。
「はなびらに」は仮寝が利いている。はなびらはただのはなびらではあるまい。「ふれてみたい」は目で舐めるという反転。全部をひらく作意満々が賛否を生んだ。「衿足」はその目の微細さが夕刻という空間を描出する。現代俳句としても評価されるだろう。「自涜」はジトクと読む。自慰のことである。「姦淫」と並んで、確信したエロスぶりに目が泳ぐ。
「湯のごときもの」など、これははっきりと狙っているのである。読むものは狙われているのである。読んでイクくらいの感性があるかい?と読む人を狙い撃ちする、これが作家であることの面白味の一つだろう。

65 私事(わたくしごと)捕えてみれば流線型

66 わたしたち溶接されてここにあり

作家、津田晴水。流さんのお弟子でもある。いい俳句ではないと思うのだけど、ものすごく引っかかる。季語入れようよということが言える会ではなかったから、このまま受け入れるほかないのだけど、おそらく短歌に伸ばせば形になりそうな典型。両方とも不完全ながら、1%選集に入れたいと思った俳句。これくらいの主体を用いていいと思うのである。

ここに解説したのは見事に女性のみ。そう、む印俳句は女高男低でした。
(わたしが当時、どんなだったかは、またおいおいで)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?