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俳句夜話(12) 虚子の商魂が現代の俳句市場を作った

今夜は、滝の名句から入ります。後藤夜半。

滝の上に水現われて落ちにけり

Wikiによると、句会でこの句が出たとき、だれもわからなくて取らなかったと。のちに、師の虚子が客観写生に徹した句として激賞したそうですが、ただの写生ですかね。どうもこう虚子のいうことは真に受けられないところがあって困ります。私は随一の俳人を虚子だと考えるのですが、作句以外の面での彼のあり方はどうも話半分でちょうどいいような気がします。

教科書に載るのは、水原秋桜子のこれ。

滝落ちて群青世界とどろけり

中学校の国語問題で、「とどろいたのは何か?漢字一字で答えよ」なんていうのがあって、答えはなんと「滝」。ちょっと気の利いた先生は「森」と答えさせる。でも、森の字はこの俳句中にないので、ちゃんと授業を聞いてないと答えられない。中学国語は、答えは本文中にないといけないと思っているフシがあり、自由闊達な読みを封じ込めてしまうところがあります。
私は若い時代に何年も学習塾で国語を教えていましたが、国語問題は首をかしげざるをえないものがたくさんあり、それに授業中疑義を呈すると混乱する生徒もいたのですが、ものを覚えるにはその総量を増やすとよいという定理もあります。その後、大人になった生徒たちとでくわすと、いまだに授業を覚えているのもいて、「あの答えは滝じゃない、どう考えても森だよ」なんていいだすやつもいて、遅効性はあったかなと思ったり。

私が敬愛する鷲谷七菜子。

萬緑をしりぞけて滝とどろけり

さらに時代が進んだ感がありますね。草田男、秋桜子へのオマージュでしょうけど、じゅうぶんに拮抗する力がある。オマージュというより、喧嘩売ってる?みたいな威勢の良さを感じますね。秋桜子の弟子である山口草堂のお弟子さんですが、師をはるかに超えてると私は思います。

秋桜子は虚子の弟子で、いわゆる4Sの1人(読みはヨンエスじゃなくてシイエスです)。東大医学部を出て産婦人科の医者になり、皇室の子を何人もとりあげたというとんでもない秀才。いまもっとも勢いのある、議論に強いとどこかで紹介しましたが、東大俳句会を再興した人でもある。
虚子があまりに客観写生を守れということに対して、抒情を前面に出しての主観写生を主張し離れていきます。当時、虚子のホトトギスを離れるというのは俳人人生を賭けるに等しかった、といってもそんな階級的な俳壇があったなんて、なかなか想像できませんが。

虚子についてはここで2回にわたって紹介しましたが、人には写生しろ、花鳥諷詠だと言いながら、自分はもう好き勝手やり放題で、ありとあらゆる句型、俳句文体を試した。これは、きみら下手くそはデッサンしてなさいという意味合いだろうと指摘したのですが、もっと先があるんじゃないかと。


桑原武夫の「第二芸術 ―現代俳句について―」という論文があって、当時の俳壇をずいぶんと揺らしたといいます。いま読んでも、なるほどと思えるところも多くあります。4Sのひとり山口誓子と、草田男とかは桑原に猛然と反論するのですが、虚子は一言も発しなかった。1946年の発表ですから、当時の虚子は押しも押されもせぬ巨匠、大スターです。山本健吉は、ここで黙ってしまった虚子には失望していると書いています。

私はなぜ虚子は黙ったか、こう推察します。
『よくぞ言ってくれた』
と思ったからではないか。
秋桜子のいうこともわかる、秋桜子とともにホトトギスを離れた橋本多佳子や山口誓子が写生論に飽き足らないのもわかる、しかし君らがいうような<むずかしい>ところへ俳句をもっていってはいけないんだ。いいんだいいんだ第二で。けっこうなことだ。第二だろうとなんだろうと芸術の範疇だとはいってるわけだろう?いたずらに高尚なものにもっていったら、せっかく増えてきた愛好者が減るではないか。愛好のものたちは下手くそなんだから、第二芸術なんてちょうどよすぎるくらいだ。同人の会費を増やすのがなによりの目的だ。そうすれば儲かるんだ。それには、
<習えばだれにでもできる>
を標榜しておくべきなのだ。

ま、あてずっぽうに近いですが、とんでもなくはずれているとも思えない。内容的にいって、黙っていた理由もわかります。こんなことは口が裂けてもいえない。
もしかしたら、ずっと数字を見ていて、ホトトギス購読者が減るようなことがあったら、やおら反論に立ち上がったのかもしれない。桑原のおかげで部数が伸びていたのかもしれない。調べればわかる話かもしれませんが、出版社は部数のことにはまったく不正直なので、あまり期待もできない(ちなみにホトトギス社は旧丸ビルにありました。すごいことです)。
むしろ、現在までの俳句の隆盛を見れば、瞭然たるものがあると思います。圧倒的に写生作法が風靡している。虚子の商売人としての目は確か。

とにもかくにも虚子は、いやなやつですからね。ここだけはまちがいない。(笑)

最後に、滝句にもどって、滝はあの夏石番矢にさえまともな句を詠ませる。

未来より滝を吹き割る風来る

彼も気に入っているらしく、自分が編纂した歳時記の滝項には必ずこの句を載せます。

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