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統治の敗北 崩壊に至った「りべるたん」への個人的な総括

ご存じの方は良くご存じ、知らない方は聞いた事もない「りべるたん」というのは、東京の東池袋にあった(一応今も物件はある)シェアハウス兼交流スペースです。

その前身としての創立は2012年、当時東京近郊の大学へ通っていた学生を中心に「若者が自由に利用できて交流できる空間を自分たちで作ろう」的なノリで神楽坂の雑居ビル一室を借りるところから始まりました。

しかしそこは隣に住むおじさんが包丁を持って突入してくるというトラブルを機に退去、翌年から東池袋の一軒家に引っ越して活動を続けていました。

その間、僕らは自分たちで運営方法を考え、理念やルール作り、仲間を集って「りべるたん」を盛り上げようと色々頑張って来ました。

その設立から数年までの活躍(?)については今まだ残っているりべるたんホームページ跡で垣間見ることが出来ますので見てみて下さい。理念や綱領も書いてあります。

共同運営実験スペース りべるたん http://www.libertine-i.org/

しかし、りべるたんは色々あって去年の後半くらいからほとんど活動停止状態になっておりました。直接の原因は、単純にもうやる人がいなくなったからです。

そして近日、りべるたんに最後に残った人間で本格的に解散する行く方向で最後の話し合いが行われます。それを踏まえた後で、何かしら正式なアナウンスメントが出せるのでは無いかと思っています。

以下本稿はその話し合いに向けて最後の方まで関わった仲間たちに向けて書いたものです。なので内容は100%内輪向けのものです。

一応曲りなりにも、というか超不甲斐ない形ではありましたが、立ち上げの頃から現在までりべるたんに関わり続けていた僕が、僕個人の観点でりべるたんの運動を総括したものです。

非常に穿った目線で政治学っぽい分析で書いてます。なので「実際に何があったか」「具体的に何が悪かったのか」という話は出てきません。それは実際に一緒にやってきた人たちと何度も何度も話合ってきたことであり、直接関わってきた人はおのおの分かっていることなので、あえて文章化しませんでした。

僕が総括文を書いたこと、そしてこうして公開しようと思ったのは、自分たちにとってだけでなく、今後どこかでりべるたんと同じように「自分たちで自分たちの場所を運営しよう」という人たちが出てきた時、あるいは今やっている人たちにとっての、何かしら学びになるのではないかなと思ったからです。

色々ともどかしい、情けない結果ではありますが、この「りべるたん」という共同運営スペースが「失敗した」という事実を自分なりに振り返り考えることで、今後の何かに活かせればなと思います。

以上です。

2019年 8月31日 jun


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統治の敗北


 りべるたんの理念のひとつに「自主生存」というのがあった。それは「誰かがつくった場所で誰かがつくったルールに従い誰かの責任に任せる」という状況から脱しようという試みであり、「誰かが何とかしてくれるだろう」ではなく「自分たちのことは自分たちでやる」という自律と協調の心がけだ。言い換えるならば「自治」の精神である。
 しかしこの自治という理想自体は、僕はさほど重要でないと思う。もっと重要なのは、「自分たち自身を、どういった目的・目標を元にまとめあげるのか」という組織的な意識があったことだ。理念とはただの言葉だ。言葉が何であるか、その意味が何かもこの際重要ではない。重要だったのは、りべるたんは何を目指し、何を守ろうとするかを、お互いに確認し合あったということだ。ここに、りべるたんの「統治」が生まれた。
 僕の言うところの統治とは、「その集団が集団であることを規定し、集団として決定し行為するための力」だ。言い換えるならば、集団として何かをすることを可能にするそもそもの能力のことだ。これがある限り、りべるたんは集団として活動できた。逆にこれが無くなったとき、りべるたんは集団として何かを生み出す力を持った集まり、即ち「組織」ではなくなった。
 一方で、りべるたんはシステムを作った。システムとは、組織を運営する上で必要な仕組みのことだ。僕は、組織を運営する上でシステムが大事だと思っていた。それぞれ個人の思想やパフォーマンスだけでなく、システムを意識すること、システムとして維持・発展を考えること、時に破壊することで創造的再生を狙うこと、これが運営を続ける上で大事だと思っていた。
しかし、あることを見落としていた。システムは組織運営を可能にする装置であって、組織そのものを可能にする力ではない。組織を可能にするもの、それが統治だ。統治がなければ、いくら良いシステムがあっても、組織は存在できない。確かに、組織を運営する上で必要な色々の決め事を判断して決断する仕組みは、システムにある。しかしシステムそのものを可能にするのは、そのシステムを持ち回す主体の存在だ。その主体を生み出すのが、統治だ。
 この統治がなければ、いくら運営システムをしっかり回そうと、組織は成立しない。仮に統治がなくシステムだけが存在しているとしたら、そこにいる人は「運営者」ではなく「従業員」だろう。他の誰かが作り所有している会社の仕事をやらされているようなものだ。そこに統治があるという前提があったからこそ、僕たちは「りべるたん」について自分たちで思考し、決定することができた。その主体は自分たちだと信じていたからこそ、僕たちは仲間を持ち、仲間に意見し、仲間に従うことができた。つまり、統治はシステムに先行するものなのだ。
 それが、いつの頃か、逆転してしまったのではないだろうか。あるいは、統治というものの意味を、はき違えてしまったのではないだろうか。つまり、システムに従うことが統治であり、あるいは、自分の意志に同調する者だけが、同じ統治者だと。僕らは、「自治」や「自主生存」という言葉の中でこんがらがり、結果的に統治を放棄してしまったのではないか。
改めて強調したいのは、統治=自治では無い。自治というのも統治のひとつの形であって、これだけが正解ではない。統治というのはもっと根本的なものだ。
 統治には色々なタイプがある。しかしそれは、トップダウン型とか、協議型とかそういったことではない。それらは組織の意志決定システムの分類であって、統治のタイプではない。統治のタイプとは、M.ウェーバーが言った「支配の三分類(伝統的支配、カリスマ的支配、法的支配)」のような、「その統治(支配)が正当なものであると認められるあり方」のことだ。
それでは、りべるたんにとっての「正しいと思える統治のあり方」とは何だったのか。それは「自主生存」だ、「自治」だ、といった理念――ではない。それは後から生まれたものだ。なぜなら、「自主生存」や「自治」といったものは、設立当初いた人間が作って決めたものだからだ。それより先に存在していたものではない。ということは、りべるたんの統治のあり方を決めたものは、当時の運営者、つまりその時りべるたんにいた人ひとりひとりだ。言い方を換えれば、「統治のあり方」を作り・決めるのは、その時りべるたんいる人間の「意志」だ。よって、りべるたんにとっての「正しい統治」とは、その時その時の運営者が持ち寄る「意志」によって生み出され、作られるということだ。

〈意志と統治への意志〉
 「意志」と言っても、これは別に何か固い・熱い信念みたいなものだけを指しているのではない。「りべるたんはこういう集団・場所にしたいよね」とか「こういうことを大事にしたいよね」といった、志の方向性のことだ。
まず大前提として言っておきたいこと――意志は、①人それぞれ違う、②正解はない、ということだ。理念や綱領と言った後から作られたものを一旦脇に置けば、意志とは完全に自由かつ平等なものだ。「りべるたんで労働をやりたい」も「りべるたんはただの住む家」も、個々人の意志としては自由で平等だ。りべるたんが「自由」と「平等」という価値を大切に思う人間が自然と集まった集団であるとしたら、それら異なる意志の正解・不正解を決める前提は存在しない。
 人間個々人の抱く意志はそれぞれ異なる。この異なる意志がどのように収れんされ、集合してひとつの形を持った意志、すなわちどのような理念や原則となるかは、偶然によって決まる。たまたま似通ったり重なったりしている場合もある。そういう時は、みんな仲良く、上手く行っているように見える。しかしひとたび違いが明らかになると、それぞれの意志はすれ違い、やがて衝突する。これは避けられない、仕方のないことだと思う。勝った意志の持ち主は残り、負けた方は去る。強い意志が勝ち、弱い意志は負ける。これも仕方のないことなのだろうか?
 これも仕方のないことだろう、もし、集団に統治が無ければ。つまりこれは、統治の存在しない「自然状態」の世界だ。たまたま利が一致すれば共同し、害があれば離れる、自然なありのままの集団だ。りべるたんもこれだったのだろうか。違ったはずだ。だから、理念やシステムを作ったはずだ。違ったから、単なる友達ではなく「運営者」というメンバーシップを作った。これら作為の産物―それぞれの個々人の意志の間で、集団的に機能するもの―を形成しようとしたのは、僕たちが「たまたま気が合ったから出来た集団」では無く「組織」であろうとしたからだ。つまり、そこに統治を作ろうとしたのだ。こうした集団的な動きを可能にしたのは、ひとりひとりの意志の中に「統治への意志」があったからだ。
 先に全ての意志は自由で平等だと言った。しかし、この「統治への意志」だけは特別だ。これが、唯一これだけが、単なる集団を組織へと変化させるものだからだ。「統治への意志」とは、「〈私たち〉でやろう」という集団的意志、言い換えるなら集団に向けられた欲望みたいなものだ。この集団的な意志さえあれば、後はどんな意志を中に持っていっても組織は成立する。「金儲けがしたい」という意志であっても、「自分だけじゃなく、〈私たち〉で金儲けしよう」という意志があれば、組織が出来る。つまり会社だ。当たり前だが、会社だって統治が存在する。逆にこの「統治への意志」が無ければ、組織は崩壊する。なぜなら、究極的に言って、一緒にいる・やる意味なんて無くなるからだ。
 りべるたんの崩壊――色々な原因があると思うが、僕はこの「統治への意志」がだんだんと無くなっていったこと、そして「統治」が無くなったことが大きな理由だと思う。りべるたんは「共同実験スペース」と名乗っていたが、それは、「私たちは私たち自身を〈統治者〉として自らを統治できるか」という実験でもあったと僕は思う。その実験の結果は、失敗であった。それは言い換えるなら、統治の失敗であったと思う。ではどうしたら良かったのだろう?運営者ひとりひとりが「統治への意志」をガチガチに持った意識高い運営者になっていたら、崩壊は避けられたのだろうか。
 それはそれで別の実験結果が出ていただろう。それは、意識高い運営者だけが描く「統治」に他の運営者はつき従い、それぞれ考えることをやめる――僕らの大好きなファシズムだ。あるいは、一度作られた統治の形を崩してはいけない、外からの批判には耳をかたむけない、という教条主義だ。実際、僕らは後半そのどちらにも少しずつ片足を突っ込んでいたとも思う。
これらはまだ統治が残っているぶん無いよりマシかもしれないが、いわゆる腐敗ってやつだ。このように腐敗した統治を一度立て直す方法、それが「闘争」だと思う。

〈統治と闘争〉
 闘争とは、「統治への意志」V.S.「統治への意志」の衝突だ。闘争が起こるのは自然なことで、それ自体悪いことではない。なぜならば、①個々人の意志がそれぞれ異なるように「統治への意志」もそれぞれ異なるから、②個々人の意志が自由で平等なように「統治への意志」も自由で平等だからだ。この異なる意志が対立したとき、究極的な局面において、ここに和平の道はない。なぜなら、統治と統治を合わせて支配する「さらに大きな統治」が存在しない限り、両者を客観的に判断する基準も、仲裁する権力も存在しないからだ。つまりここは「自然状態」なのだ。よってこの社会の中にある組織の中の闘争は、法律に反しない限りにおいて、ノー・ルールの戦いだ。
これを「内ゲバ」と呼ばれても僕は否定しない。統治が、組織がグズグズ腐っていくよりは、「内ゲバ」で白黒決着をつける方がよっぽど良い。むしろ必要だとすら思う。なぜなら「統治への意志」には、「必要な局面では戦う意志(覚悟)」が含まれていると思うからだ。統治を巡る戦いに身を投じる意志がなければ、自らが自らを統治する統治者にはなれない。こうした闘争の結果が良いものになるか悪いものになるかは、誰にも分らない。それは、後の時代の評価をあおぐしかない。
 いずれにせよ、僕らも最後に闘争をした。そしてりべるたんは事実上崩壊した。これは闘争のせいでそうなったのではなく、誰もりべるたんに「統治への意志」を抱くことが無くなったという、それだけがもたらした結果だと思う。なぜなら、たとえ闘争の結果去って行った人がいたとしても、残った人に「統治への意志」があれば、どんな形であれ、統治は継続できただろうから。最悪そういった意志を持った人間がたった一人になっても、統治はできる。統治する対象さえあれば。現在ではそうした意志を向ける対象すら無くなってしまった。要するに誰もいなくなってしまった。
 どうすれば統治は存続できたのだろう。どうすれば「統治への意志」を継承することができたのだろう。運営者ひとりひとりの意識?教育の欠如?そういった原因もあると思う。しかし、僕は単純にりべるたんの「ステークス」が失われてしまったことが大きいと思う。

〈ステークス〉
 ステークスとは、ステークホルダーという言葉でも使われるやつだ。ステークホルダーとは、日本語で言うところの利害関係者だ。しかし、僕の考えるステークスは単に「利害関係」というよりも、要するに「一緒にやっていくことの必要性を与えるもの」みたいなものだ。このステークスがあるから、僕たちは一緒にいようと思える。ステークスが大事だと思い、守ろうとするから、統治が生まれる。早い話、別に「俺は統治がしたい」「しっかりとした組織運営がしたい」などという稀有な意志を持っていなくたって、一緒にやっていく必要性があれば、自然と集団に統治が生まれるはずだ。
菅谷さんなら、これをステークスとは呼ばずに「結集軸」と呼んだだろう。しかしステークスは、単に人が集まるための軸と言うよりも、「必要性」や「執着」を生み出す元(もと)みたいなものだと思う。それでは、りべるたんにとってのステークスとは何だったのだろう?
 一番分かりやすいステークは「場所」、すなわち物件としてのりべるたんだった。居住者にとって、住む家は必要だった。住んでいない人にとっても、楽しい居場所が必要だった。しかし「場所」は代替可能だった。りべるたんにもう住みたくないと思えば、引っ越せば良いだけだ。楽しい居場所が他にあれば、そこに移るだけの話だ。結果的に、その「場所」というステークだけでは、りべるたん全体を引きとどめるだけの価値は無かったようだ。その場所で何をするにしても、どんな理念や理想を掲げるにしても、「必要性」や「執着」を生むのは難しかった。早い話、無くては困るものでは無かったから。
 もうひとつのステークは、「人」。純粋に、友達や同志としての愛着だ。僕らは、まず人としてお互いに好ましいと思ったから、つるんでいたのではないだろうか。確かにりべるたんは、一応、理念や理想ありきの「運動体」として集まった連中だ。しかし、本当にそのような、外に置かれた目的のためだけに僕らは一緒にいたのだろうか。もっと単純な理由、そこで出会った人たちが好きで一緒にいたいと思ったから、りべるたんにいたのではないだろうか。さらにそこで同じような仲間を作りたいと思ったから、門戸を開いたのではないか。仲間内で問題が起こったときも、単なる運動の障害としてではなく、それぞれに人としての愛着があったからこそ、仲間・友人という立場から向き合うことができたのではないだろうか。
 もし本当に純粋に運動体ないし運動組織として集まっていただけなら、きっとこういった仲間としての愛着みたいなものは邪念なのだろう。運動としての信念がぶれて、単なる仲良しグループになってしまうから。実際にそういう風になってしまうことを恐れる意識が、僕らにはあったと思う。さらに僕らはそういった運動としての理想やタテマエみたいなものに振り回されて、その結果当初抱いていたお互いの人としての愛着というものが薄れ、やがて切れてしまったのではないだろうか。もしこの運動としての理想やタテマエがそれだけで価値の高いもの、つまりステークだったなら、それだけでも人は残り、また新しい仲間もできて組織は存続できただろう。しかし実際はそうはならなかった。本当に重要だったステークは、そこで一緒にいたいと思える「人」だったのではないだろうか。
 「場所」と「人」。これだけがりべるたんのステークス、すなわち一緒に何かやろうとする上での根本的な必要性や執着だったと僕は思う。ステークスには「杭」という意味もある。その上にどんな立派なものや面白いものを乗っけても、「杭」が無ければ、倒壊してしまう。僕らは、この「杭」をあまり大事にしなかったのではないか。あるいは、他に大事なもの、自分が生きていく上でより欠かせないものの前で、これらを諦めてしまったのではないだろうか。あるいは、りべるたんに大事なものを見出せなくなってしまったのではないか。大事なもの、ステークスが無くなってしまったから、そこに統治が必要だという意志も失われてしまった。統治が失われ、りべるたんという組織は消失した。

〈最後に〉
 ここまで「僕ら」という書き方をしてしまったが、実際は「僕」個人の総括と自己批判である。僕個人がどうしても政治的にものごとを見てしまうので、このような考えになってしまった。というのも、先にも書いたが、僕にとって「私たちは私たち自身を〈統治者〉として自らを統治できるか」というのがりべるたんの大きなテーマだったからだ。
 僕たちが今生きている社会、「一般民衆は政治から疎外されている」といったような話は、もうずっとずっと繰り返されてきた話だ。ここ最近になって、「若者よ、選挙に行こう」だの、「選挙だけが政治じゃない。デモも政治参加だ」だの、民衆の政治参加を呼びかける意見が増えてきたような気もする。結構なことだ。もっと自由で平等で思いやりのある社会にして欲しい。それを政治に訴えよう。結構なことだ。では、それを誰が実行するのだろう。つまり、この実社会を「統治」しているのは、誰なのだろう。
 きっと、僕らではないのだろう。僕らとは別に力のある、その地位を持った、〈統治者〉がどこかにいるのだろう。だから、僕らにとっての政治への直接参加とは、その〈統治者〉に向かって声を上げることでしかない。民主主義とは言っても、「民衆」にあるのは、一貫して〈被・統治者〉としての態度だ。
 国や社会といった大きな共同体なら、そうなるのも仕方ないのかもしれない。直接民主主義というものは、実際なかなか難しい。では、もっと小さなコミュニティーならどうだろう?僕たちは、僕たちの手で、僕たちのやり方で、もっと理想的な政治を行うことができるのではないか。つまり、自らが自らを統治する、自治の世界だ。それが僕にとっての、りべるたんだった。それに僕らは失敗した。それは偶然や、僕らの力の及ばない大きな構造上の問題で、仕方のなかった部分もあるだろう。それでも僕らは、たった一軒の家を巡る、たった数十人による自己統治に失敗したのだ。この経験は、単なる組織運営の失敗以上の意味があると、僕は思う。もしこれがりべるたんで無くて、ひとつの社会、ひとつの国家だとしたら、僕らはどこに撤退するのだろう?いや、ひょっとしたらもう既に撤退しているのかもしれない。それぞれの人生、それぞれの生き方の中へ。そして時々思いついたように「政治」について口にする。しかしそれは〈統治者〉としてではなく、「誰かがつくった場所で誰かがつくったルール」について、「誰かの責任」について文句を言う、〈被・統治者〉として。
 これ以上話が大きくなってもいけないので、この辺で総括を終わらせようと思う。とにかく、僕がりべるたんの失敗から学んだことは大きい。しかし、先にも書いたが、りべるたん運営者のひとりひとりが意識高い運営者になっていれば、崩壊は避けられたとかそういう問題でもないと思う。あるいは、この失敗を踏まえて、「統治」意識の高い運営者を集めて、もっとガチガチにやればまたりべるたんをやり直せるとか、そういったことも思っていない。りべるたんは別に自治塾じゃない。ゴリゴリの組織人間を育てるためにやっていたわけでもない。だから、この経験が今後何か社会的な運動に活かせるかは、まだ分からない。しかし、僕自身思うことは、これを“自分個人の”の人生経験だとか、これからの生き方の糧だとか、そういったものにしたくない。そんなものは、クソみたいなものである。勝手に生きて、勝手に何か学んだ気になって、勝手に死ぬ。僕は、りべるたんでの思い出、ここで出会った人とそこで過ごした時間、ここで得たものをそんな話にしたくはない。僕たちはまだ生きている。失ったものも多いが、とりあえず生きている。今あるものの中で、これから何があるのか、何が出来るのか、それをこれから考えていきたい。

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