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信じていれば誰だって幸せになれる


深夜2時、俺はいつものようにPCに向かう。
カチカチと何度かマウスをクリックして手を止める。

これか。

ようやく辿り着いた。
小学生の頃噂になっていた、深夜2時に現れる願いを叶えてくれるという都市伝説のサイト。
俺は「幸せになりたい」と打ち込む。
やっと、やっと俺は幸せになれる。
それだけを信じて俺は毎晩深夜2時にPCに向かった。
信じていれば誰だって幸せになれるんだ。


俺はずっと出来の悪い子だった。
物心ついた頃から、人の何倍も頑張らなければ周りに合わせられない。人の顔色も伺えない。
両親は多分優しかったし、頭もそんなに良くなかった。だから俺の出来の悪さにも多分気付いていなかった。
それに加えて仕事で幼い頃からほとんど家にいなかったため、小学生になるまで俺は世間とのズレに気付けなかった。
集団生活は足並みが揃えられないとバレればすぐにやっかまれる。
知識の付き始めたガキのいじめは、学年を重ねる毎にどんどん陰湿になる。殴る力も強くなる。
最悪なのはガキのいざこざを見て見ぬ振りする大人が教師だったこと。
家に帰っても誰もいないから、出来の悪い俺は大人に頼ることがわからず育った。
腹を殴られたら嘔吐することと、毎日をどうすることも出来ない自身の無力さに気付いてしまった小学生の頃、願いの叶うサイトの噂をを耳にした。
そんな幼稚な噂話で盛り上がりながら同級生は俺を殴る。
助けての声も届かないこんな世界で、俺の願いなんて叶うわけがない。
でももしかしたら、いつか俺の毎日が何か変わるかもしれない。
いつまでも生きることを辞められなかったのは、ほとんど会わない両親のことは好きで、かつ一丁前に死ぬことが怖かったから。それと馬鹿みたいな都市伝説にほんの少し希望を見出してしまったからだ。
中学にあがる頃にはそんな噂話誰も話さなくなった。俺だけがずっと信じていた。
しかし中学生になったって俺は周りと足並みが揃わないからいじめは終わらない。
いじめに金が絡み始め家の金をくすねているのが両親に見つかったとき、両親はようやく俺の出来の悪さと、俺が受けているいじめに気付いた。
やっぱり両親は優しく、そして頭が悪いから、俺を抱きしめて泣いてくれた。
俺は学校に行くのを辞めた。家から出るのも辞めた。頭の悪い両親はそれを許してくれた。
相も変わらず両親は仕事が忙しく家には殆どいないけれど、この時、束の間のほんの少しの安楽が、生まれて初めて俺に訪れたと思う。
家から出ない俺のために、父は俺専用のPCを与えてくれた。そのおかげで俺は家から出ずとも俺のペースで、勉強も遊びも楽しむことができた。
集団生活から一抜けすることで、俺は俺の人生を獲得することができたと思っていた。
そしていつか家族3人そろって食卓を囲むことを夢見ていた。


家から出なくなってから、三年、六年、そして十年。
世間の同い年は義務教育を終え、ストレートにいけばすべての学業を終了させ、就労にいそしみ始めている。
俺をいじめていた奴らもきっと俺のことなんて忘れて、就職したり、もしかしたら結婚したり子供ができたりしているんだろう。
俺だけが忘れていない。忘れることができない。
過去に受けた暴力やいじめのフラッシュバックが歳を取るにつれて逆に鮮明に頻繁に俺を苦しめた。
俺はやっぱり出来が悪い、俺の脳も出来が悪い。
普通歳月が過ぎれば薄れていくはずのトラウマが、俺の場合は酷くなっていく。
成人を超えてもなお、俺はまだ家から出ることができない。

両親は辛抱強かった。
しかし、十年以上家から出ず穀潰しになった俺に痺れを切らしてしまった。
まともに社会に出ている両親は、俺が外に出ることを望む、働くことを急かす、普通を求める。
安息の地であった自宅が居心地の悪い場所に変わった。
それはきっと両親もそうで、仕事に疲れ帰宅しても出来の悪い俺が家にいて、いつまでたっても何も変わらない俺に限界を感じ始めたんだろう。
初めは優しく諭すだけだった両親だったが、気付けば俺に苛立ち怒鳴りつけるようになった。
フラッシュバックはさらに酷くなる。
ある日俺は母親を殴った。
金切り声をあげる母親と、俺に罵声をあげる過去の同級生とが重なって、当時できなかった
抵抗を今さら成し遂げた。本当に殴りたかったのは母親ではないのに。
いつの間にか母親よりも力強くなってしまった俺は、何度も何度も母親を殴った。
叫び泣く母親が黙るまで、俺は殴ることを辞められなかった。
腹を殴り、母親がゲロを吐いたとき、ようやく俺は我に返った。
目の前でゲロを吐きながら小さくうずくまるのは俺の母親で、俺をいじめた奴らの誰でもない。
唯一俺に手を差し伸べ続けてくれた感謝すべき親を、俺は自分のどうしようもなさで壊し、狂わせてしまった。
こうして俺の与えてもらっていた安楽の十年間は終わった。
俺が終わらせてしまった。
しかしもとより、俺が俺である以上続くわけがなかったんだ。

母親の頭がおかしくなった。
俺を産んでしまったこと以外何もかも順風満帆に生きてきた母親は、自分の産んだ出来損ないに殴られた現実を受け止めることができず狂った。
俺どころか、母親まで家に引きこもるようになり、人形を幼いころの俺に見立ててあやす。仕事に明け暮れてほとんど一緒にいられなかった幼少期の俺との時間を取り戻すように、俺に見立てた人形を可愛がる。
人形を取り上げれば、打って変わって少女のように泣き喚く。
ままごとを続ける母親を暫くは支えていた父親だが、ついにノイローゼになる。
同じ屋根の下で暮らすのが穀潰しと狂人ともなれば、ただの一般的なサラリーマンの父親には抱えきれなくなるのも仕方がない。
ようやく家族3人一緒にいられるようになったのに、俺の家はぐちゃぐちゃになった。
もう誰も家から出なくなった。

父親は母親を心の底から愛していた。それはきっと母親も同じだった。
浮世離れし変わってしまった母親でも、なお愛していたんだろう。
俺に対してもきっと愛情はあったんだろうが、母親への愛に比べればそれはちっぽけなものだった。
毎日聴こえていたはずの母親の泣き叫ぶ声が、ある日忽然と消えた。
おかしくなってしまった家の中、両親を狂わせてしまった罪悪感で俺は自室に籠るようになっていたために、長らく異変に気付けなかった。
部屋を出て家の中を見て回ると、やけに蟲の羽音が五月蠅い。
羽音の方へと向かうと、両親はリビングで変わり果てていた。
乾いた血だまりの中横たわる母親は、首をぱっくりと開きそこに蛆が沸いていた。
その横でぶらぶらと首を吊る父親の足下には、血塗れた包丁と垂れた糞尿に蠅がたかっていた。
惨状を見るに、母親を愛していた父親は、何もわからなくなってしまった母親を連れて八方塞の現実を捨ててしまったんだろう。
俺は連れて行ってもらえなかった。追いていかれた。
どうして俺の人生はこんななんだろう。
俺は両親が本当に好きだった。
俺だけの不幸は、いつの間にか両親にも伝染し、この家丸ごと蝕んでしまった。


俺だけが覚えている小学生の頃の噂話。
生まれてこの方全てが上手くいかない俺は、そのくだらない噂話しかもう縋るものが無くなってしまった。
俺は毎晩2時にPCに向かう。
そしてようやく噂のサイトを見つけたんだ。
「幸せになりたい」と打ち込んだ。
とうに電気の通わなくなった真っ暗な家の中、真っ暗なモニターの前で俺は笑みを浮かべる。
そしてゆっくりと目を閉じ、後ろに倒れこむ。
俺はやっと幸せになれる。
食べたこともないきっと俺の好きな母親の手作りのハンバーグの匂いと、一度だって聴いたことのない両親の笑い声が部屋の外から聴こえる。
信じていればどんなに不幸でも、誰だって幸せになれるんだ。
幸せを噛み締めながら、少しだけ眠って、目が覚めたら家族と遅めの夕食を食べよう。
家は暗闇と静寂に包まれた。


中村ボリ

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