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頑張ろうとするほど減点が増える。心地良いダメな自分から抜け出すための爆薬

そりゃ毎日決めたことを達成できた方が気持ちがいいに決まってる。定めた目標に向かって頑張って、よくない習慣はさっさとやめて。もう合わないと思った人とは関わるのをやめて。アーモンドチョコを一箱平らげるのをやめて。

そうすれば少しは自分のことを褒めてあげられるかもしれないし、自己肯定感もあがるかもしれない。それがわかってるのに、なぜか出来ない。良くなろうとすればするほど逆に「それを出来てない自分」が目立って、昨日もマイナス1点、今日にいたってはマイナス10点。自分で勝手に頑張るって決めて、勝手にそれができなくて落ち込んで、一体誰の為に何をやっているのかよくわからなくなる。自分が頑張らないと周りがどうとかとかそういうのは大体言い訳で、全部自分の為なのに、少しも自分の為になっていない気がする。
自分の為に頑張っているんじゃなかったのか、自分の「頑張っていない地獄」から抜け出すために頑張ろうとしてるんじゃないのか。

良くなろう良くなろうって、進もうとすればするほど出来てないことが増えていって「あー自分、だめだなあ」って自己肯定感を下げて、でも結局はそんな自分に甘んじているというか。だめだなあって思ってただ落ち込んでる状況が心地いいから抜け出せないんじゃないかって。
出来てないことばかりを見て、自己肯定感を下げておけば、傷つくことが減るかもしれない。周りからの評価より自分の評価が低いんだから、何か言われても落ち込まないかもしれない。頑張りが足りてないんだから、状況が悪くたって仕方がないよねって。

つまり「自分を信じて、一生懸命やってみた結果ダメだった」になるのを恐れているような。身体を壊すまで頑張るとか、合わない人に無理矢理合わせるとかそういうのじゃなくて、「自分が行きたい方向に全力で向かってみた結果、何にもならなかった」後はいよいよどうしたら良いかわからなくなる気がして。自分の為に死ぬほど頑張ったのに、何にもならなかったじゃん。ってなるのが怖くて。毎日の小さなマイナス自己肯定感の積み重ねで安心しているみたいな。
自分はダメなんだよなあ、仕方がないよなあ、逃げてるよなあ。こんなんだから環境も良くないんだよなあ、頑張る気にならないんだよなあ。

前は、毎日少しでも何かできた自分に加点してあげたいと思っていた。朝起きれたら1点、外に出れたら1点。でも加点することが自分にとって心地が良いことなのかと言われると、そうでもないからわざと加点を避けているだけな気もする。心のどっかで「そんなことくらいで自分を褒めてていいのか」って誰かが言ってて、加点すればするほど逆に首が絞められていくような感覚がある。
必ずしも自分を褒めることが自分の為ではないような気がする。

つまり、八方塞がり。考えすぎ。
何をしようとしても気分が晴れない。
とりあえず今日も生きれてしまっているだけ。

そうだ、こういう時は時の流れに任せるしかない。強制的に動かないといけない状況が来ない限り、もうどうしようもない。

とかって何日も思い続けていたら、ついに、晴れて、大きめのピンチがいくつか訪れている今日この頃。正直なんとかしないと本当にヤバいのだけれど、この「なんとかしないとヤバい」はこういう八方塞がりタイプにとっては比較的効果のある爆薬のようなものだと思う。
「あなたが考えすぎるのであれば、考えていられるほど余裕のない状況をあげますよ」っていうプレゼント(全然嬉しくない)。逆に言うと、こんな感じの思考ぐるぐる八方塞がりタイプは、窮地に立たされれば立たされるほど逆に冷静になって、なんとかしていく力があるという説もある。ピンチはピンチだけど、ぐちゃぐちゃな状況になぜかホッとする的な。

なぜなら、四の五の言ってられねえという状況になってしまえば、自分の自己肯定感を上げるとか下げるとかあんまりもう関係なさそうだから。
基本的にずっと考えすぎで気分が良くないので、それ以上あんまり下がりようがないから。そんなことより「なにもできてない」自分と向き合う時間の方が苦しいと思っているから。
もうこんな状況に、逆に感謝するしかない。あー感謝感謝。


…話を無理矢理ポジティブに着地させようとすると意味わからんことになりますね。
もうどうにでもなれ。。どうせきっと明日も生きるのだから。。

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