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平均を求めすぎた後悔④

私は息子に意思表示を言葉でしてほしかったのだ。
指差しではなく、指差しと言葉で意志を伝えてくれるだけで安心できる思ったのだ。

息子が指差しや私の手を引こうとする度に、「何がほしいの?」「これはおーちゃ」と声かけをするようになっていた。息子は私の問いに「ウン!」とうなずいていたが、そのうなずきが私を苛立たせた。


私の言葉がわかるなら、少しくらい話せるのではないか? 「パパ」「イヤ!」が言えるなら他の言葉も言えるはずだ。「親が言ってくれるからと甘えてるだけじゃないか?」と身勝手な思考がグルグルと頭をめぐるのだった。


妻は「今、言葉のインプット中だから気にしたらだめだよ」と言ってくれたが、もう2歳過ぎてるから話がもっと出来てもいいだろうと言うのが私の本音だった。


いよいよ、妻が二人目の出産にむけ実家に帰ることになった。
もちろん、息子も保育園を休園して妻と実家へ行くことになり、我が家では私一人だけの生活が始まった。


仕事から帰ること、あんなに騒がしかった家は真っ暗でシーンとしていた。毎日入っていたお風呂は寒くてもシャワーに変わり、夕食もコンビニ弁当か惣菜とご飯といった味気ないものになっていった。


夕食後は、妻とLINEやテレビ電話で話をするのが楽しみになった。妻の体調や息子のこと、たまに入る妻と息子の写真を見ると思わずニヤけてしまう自分がいた。


家に一人で過ごす日々が増えると、妻の実家を訪ねたとき息子の成長がやはり気になった。どうすれば、言葉がもっと出るようになるのか? 絵本も新しく買っても興味をもたない。どうすればいい?
スマホの検索も履歴が同じような文で埋め尽くされていった。


私は普通を求めた。
普通の2歳児なら出来ることを、息子が出来ないのがつらかった。
今思うと、私は息子に理想の子どもを押し付けていたのだ。


自分でさえ、普通の人間であるかもわからないのに…












 


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