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鹿児島マラソンの思い出⑤

天文館に着いたらファンランの人たちといっしょにゴールしようと考えていた。
すると、私を追い抜いていく人と目が合った。石原良純さんだった。

ゲストランナーとして走っていた良純さんと、たまたま私は並走することになったのだ。
そのとき、良純さんに「頑張って走ろう!」と笑顔で私に言ってくれた。
すぐに、私を追い越して走り去ってしまったが、
頑張って走ろうという元気が出てきたのた。

結局、腹をくくりリタイヤせずに仙巌園を通り、ボランティアの高校生の声援を聞きながら国道10号線を走った。

桜島は雲に覆われて見ることは叶わず、ランナーたちは黙って、雨足の強い道をひたすら走る孤独な戦いが始まっていた。
救援ボランティアの人が、低体温症になった人に、寄り添って歩いていた。大丈夫だろうか。

私も18kmの時点で右足太ももが痙攣しており、油断したら足がつってしまう状態に陥っていた。
原因は、早く帰りたいという気持ちからのオーバーペースで走ったからだろう。

雨はずっと降り続いていた。給水所にあるお菓子は雨に濡れて、黒砂糖は溶けていた。
誰もバナナに手を伸ばさないのか一段と高く積み上がっていた。その脇に、リタイヤ組が乗っているバスが見えた。バスの中も寒そうで、みんな顔色が悪かった。

私は、給水所の水を一口飲み地面に捨てた。足にかかったような気がしたがずぶ濡れだったので、気にはならなかった。

折り返し地点の重富につく頃には、足は棒のようになっていて走ることはできなくっていた。
マッサージを受けられる所も用意されていたが、大雨で待ってる間も濡れてしまうと考え進む決断をした。

重富にいる間は、応援してくれる人やボランティア、お菓子を配っている人もいて、冷えた体が暖かなるような気持ちになった。
「こんな大雨なのに応援をしてくれる人がいるのか」という思いと感謝の気持ちが、足を動かす動力源になっていた。

そして、磯街道に戻ってきたのが、残り半分を切っていて完走の希望が見えていた。それでも、歩いているような状態だった私はドンドン抜かれていった。

磯街道は緩いカーブの連続で、曲がっても曲がっても鹿児島市内が見えてこない。おまけに、微妙な傾斜のある道路で地味に足に響いて歩きづらかった。

ただ、雲の合間に見える桜島は本当に綺麗で、晴れてたらどんなに良かっただろうと考えていた。

山手のJRから手を降る人が見える、誰に手を振っているかわからなかったが、私は手を振り返してまた足を動かすのだった。


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