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断片小説|夏の中 断片5 歌姫

O市の聖堂で催されたイベントで披露した彼女の歌唱は、讃美歌としては官能的過ぎる、という理由で、一部の宗教家から不評だった。
聖堂の音響はすばらしく、十分、生の発声で聴衆に届く環境だったが、声帯を痛めていた彼女はマイクを使用した。
声帯の状態を公にしていなかったので、これが彼女の評価を下げることにつながった。

「彼女の自然な声の響きが、電気信号に置き換えられて天上に届けられたことは遺憾である。」

言わせておけ。
歌唱は、歌い手ばかりが伝えるものではない。
音響スタッフや、会場の設定、準備、かかわる全てのものがひとつになって聴く側に届けられる。それが、聴く者の聴覚に入り、記憶や経験と混ざりあって伝わるものである。
ひとりひとりが聴く音楽体験は、全てがひとりひとり異なる。

しかし、不思議なのは、彼女はいつも、聴く人たちがひとつの塊になっていくのを感じる。
音楽は、それぞれ個人の体験とまじりあって鑑賞されているはずなのに、時々、それぞれの観賞同士が共鳴しあって大きなうねりになる。
無意識の共鳴が生まれる。
歌いながら、それに彼女自身も呑まれる。
歌う側も聴く側もいっしょくたになってしまう。

そういうときコンサートは大成功だ。

あの時の聖堂にも、そういう場のようなものが成立しかかっていたと思うが自信はない。
無意識に声帯をかばっていたかもしれない。
マイクを使わずに歌えていたら、また別の共鳴が生まれていたのではないか?

彼女も全てのプロ同様、発声法の学習やその鍛錬に人生を費やしてきた。

自身の身体を楽器として理解し、磨いてきた。

肺や横隔膜をつかって空気を吸引する。 

吸い込んだ空気を吐く流れによって声帯を震わせ、その振動を音源にして、口腔、鼻腔、喉頭腔で増幅する。

自身の声帯のサイズや弾力性、頭蓋の骨格を認識して、最大限のパフォーマンスを引き出す。
横隔膜や呼吸筋、声帯の筋肉、咽頭や喉頭の筋肉、鍛えることができるパーツは、アスリートのように鍛えてきた。

ブレスコントロール、音階練習、リガート、レゾナンス。

ベルカント、ドラマティック、リリック、カバティーナ。
基礎となる表現スタイルを繰り返し修練してきた。

バイオリン職人は、木材の密度や年輪の均一性、乾燥度合いにまで、素材にこだわる。
何十年も乾燥させた最高の木材を選んで、最高の音質と共鳴に必要な正確な寸法と形状に、一つ一つ、丁寧にパーツを削り出す。
それらを狂いなく組み立て、最後にニスで仕上げていく。

その工程とかわらない。
いや、動物の身体だ。
バランスのよい栄養摂取や感染症対策など、身体全体の健康維持が欠かせない。

生活を律さなければならない。

その意味で声帯の健康を損なったのは後悔に耐えない。

「よく鍛えられたきれいな声帯です。しばらく負担をかけないように、声を出さないようにしてください。」

声のかすれが気になり、密かに受診してポリープがみつかったが、幸い安静にしていれば、自然治癒する、とのことだった。

診断の時、既に決まっていたO市でのイベントを最後に彼女は休暇をとっていた。

それにしても、官能的すぎる、とは笑える。
音楽と結婚したようなもので、この歳になっても彼氏ひとりいない。

声楽家、フジワラミツキは小高い丘の上にある林の木陰で、日傘をさしている。
眼下の田園風景に古い石積みの水路が見える。
水流が日光を反射して、銀の龍を思わせる。
凪いでいた空気がときおり思い出したようにサワサワと樹の葉を揺らす。

足元の愛犬が、舌をだしてすっかり暑さに閉口しているのに気がついた。

「ごめん。ごめん。」

彼女は愛犬に謝って、林の陰に沿って来た道を戻り始める。

休暇を過ごすと決めたN市は、まだ夏の中にあった。

彼との再会は目的ではない。

しかし、彼の教える学生たちの演奏を聞きたい、という欲求に、なぜか抗えなかった。

ほんとうに偶然だった。

水分をとりたくなり、昼近くにベットを出た。
コップ片手にソファに身体を預け、何もやる気が起こらないまま、見るとなくタブレットの動画を見ていた。
ひとつの学園祭の様子に目が留まった。
音楽づくめだった自分には経験できなかった学生時代への憧れ半分。
その内、プロの審眼で、なかなかね、と感心した。
それから、指揮をしているのが彼だと気がついた。

今年ももうすぐ、この高校の学園祭がある。
彼の教える学生たちの演奏を生で聴きたい。

この誘惑に勝てるはずがなかった。

こうして、フジワラミツキは終わらない夏のN市に誘われてきた。

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