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(短編ふう)酔いどれ美人

寒い。

花冷えする夜だった。
下りの最終電車を送り出した後、構内に残る人の退去を促すようにホーム全体を消灯する。バチン、バチンとホームの灯りが消えていく。

時間が逆回転するようにバチン、バチンとホームの灯りが点いていく。
夜の底に煌々と照らされて、空っぽな舞台のようになったホームを見回る。
ホームの灯りを受けて、側道の桜並木がうっすらと色づいた。
下りホームの端のベンチで、彼女は酔いつぶれていた。
薄緑の春コートを羽織って、半身をベンチの袖に突っ伏していた。
すらりとしたふくらはぎが、しわくちゃにめくれ上がったコートの裾から斜めに重なってのびていた。
行儀よく揃ったパンプスの先には、並木から散ってきた桜の花びらがちらばっていた。
右のつま先に一枚が濡れて張り付いていた。
すっかり眠ってしまっているようだった。
余程念入りに手入れしているのだろう。ゆるやかにウェーブした光沢のある髪が、きれいな力学そのままに、突っ伏した横顔から肩に流れていた。

「あの。…」
若い鉄道員は、ようやく声をかけた。
女は、その程度では起きない。
彼は一歩近づいて、薄緑の肩を指でつつくようにした。
「お客さま。起きてください。」
もう一度、つつく。
もう一度。
「起きてください。」
なんとなく神聖に思えていた女が、指先のコートの生地を通して生身の実態を伴ってくる。
「起きてください。」
ずっと強く声をかけながら、左手の平で肩をたたく。
体をかがめ、髪に隠れた顔の近くで言った。
かすかなフローラルの香りとアルコールの匂いがした。
彼女が少し反応する。
「飲み過ぎましたね?」
鉄道員は言った。
川沿いの桜を観にきた客だろう。
ひとりできたはずはないだろうに、どうしてこんなところで酔いつぶれているのか。
彼女の意識が目覚め始めそうだったので、もう一度、揺って言う。
「大丈夫ですか?…もう、電車ありませんよ。」
しんとしていた女の背が一瞬、ピクンとした。
「ありませんよ。」
鉄道員は、もう、タクシーもないだろう、とロータリーの方を見た。
ロータリーの方もすっかり灯りは消えている。
ゆっくりと女が身体をもたげるのがわかった。
辛そうに髪を掻き揚げる。
睫の長い、鼻筋の通った美人だった。
「また、やった。…」
また?
鉄道員は、ベンチに姿勢を整えなおそうする彼女を観察する。
「大丈夫ですか?…お財布とか、あります?」
彼女は、突っ伏していた側の腰のあたりをゆるゆるまさぐって、バッグを取り出して見せた。
彼女はベンチの上の灯りを眩しそうに見上げ、それから少し背を反らして、側道の桜を見る。
そして、姿勢を戻し、足元に目を落とすと、身体を折ってパンプスの先についた花弁をつまんだ。
花びらは指に張り付いて、一度には取れなかったので、中指と親指を狐の影絵のようにして弾いて捨てた。
鉄道員は、こうした場合のマニュアルを記憶の中に探したものの見つからない。
不意にガクンと女がうな垂れた。
なんとか首を起こしたと思うと、努力むなしく、また垂れた。
「とりあえず、事務所に行きましょう。」
鉄道員は言った。
きれいな髪に隠れた小さな頭が夢うつつに頷く。

華奢な彼女は、負ぶってしまえば簡単に運べそうに見えたが、迂闊に身体に触れるのは痴漢行為と言われかねない。薄情な気もしたが、二の腕を支えるようにして事務所まで連れて行った。

―このベンチ、まだあったのか。
鉄道員は、職務で懐かしい駅を訪れた。
20年以上が経っている。
春の深夜に美女を支えて歩いた若い日を夢の中のように思い返した。口元が緩む。
そういえば、ふらふらと支えあって階段を昇るとき、彼女はなぜか時折クスクスわらっていた。

美女は終始、酒臭かった。

―了―

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