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俳句「おでん」

亡き父をおもひて選ぶおでん種

 母と二人になって、おでんをほとんど作らなくなった。少なめに作っても、二人だと多すぎる。余っても、おでんなら翌日でも食べられるではないかと思われるだろうが、大食らいの私にはそれが出来ない。あればあるだけ食べてしまう。それに残ったとしても、翌日また新しい種を足してしまうから、結局は食べ過ぎてしまうのだ。父が生きていた頃は、父もよく食べる人だったから、たくさん作っても今ほど食べ過ぎることはなかった。

 父が亡くなったその年の冬、少なめに作ったつもりのおでんが残り、妙に腹立たしかったのを覚えている。今もおでんの日は、材料を買うときも、作ったおでんを皿にとるときも、「父ならば……」と考える自分がいる。

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