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終活する君


私、こう見えて四半世紀程、看護師とかで働いても居るんどけど、寿命が長いから幸せって訳でも無いのは、肌感覚で分かってる。

幸せって、何か与えられて感じるものでも無いのも分かってる。
そら嬉しくなることもあるんだけど・・。
幸せって目標にして掴かもうとしても掴めないのよね。
ある地点に到達する事が、幸せと思いこんで頑張って到達しても、幸せって??と、なるものだし

手放しの幸せ?って言葉があったように思うけど、両手を離した瞬間に墜ちてしまう事もある。

では、幸せって何か?
掴めなく実体が無いものだと言う事は、何となく分かってた
摑めないのに幸せは感じたりするよね??
幸せに向かって行けるのに、そこに到達して幸せが有るかは分からないし、長続きしないかもしれない。

幸せって方向や方位なので無いかな??って思うんだ。
3次元の人間は、太陽の出る方向や磁界の向きにより東西南北の4方向を見つけたよね
でも人間って3次元だけで生きてるわけで無いと思うんだ。

日本で言う虫の知らせとか
直感であるとか
DNAの記憶であるとか
3次元の立体世界だけでは、形にはならない何だか分からない事が、あると思ってる。
地球儀上の東西南北以外の「別次元の方向で幸せという方向」が有るんで無いかな?(逆に不幸せと言う方向も同時に現れるかな??)

地球儀で東にいくら行っても東という実感は無い
南北は地軸や磁界の(地球儀の固定具も!)の関係で北極点や南極点が存在するけど、行って辿り着いたとしても、多分山の頂上とは違い実感は無いと思うんだ。

幸せも東西南北と同じで、たどり着いたとて、実感は無いと思うし
東の果ての日本と言われても、そんな実感は日本に居てて、無いのが本音。

でもね、東の果に行こうとした昔の旅人は、東を向いて進んでる時は一番東を感じてたと思うし、一歩ゝ東を感じて歩いてだろう

北極点を目指した探検隊は、きっと白い景色の中、北へ北へ向かうことが、今居る地点より一歩でも北が、北なんだと信じて歩いただろう
磁石が示さなくなってら北極点やったのかな?
磁石が北すら示さなくなった所が、北極点?って矛盾

幸せもそんな東西南北みたいな感じで無いかな?って思う
むしろ、皆と同じ東西南北と言う方向と皆とは違う自分だけの方向「幸せ」という5方向が、実はあったんだと、私は最近理解した感じです。

あまりにも一方的で長かったね。
後少し・・・

で、最初の文書に戻ったりするんだけど、寿命が長くても人から与えられても、幸せというやつは自分が幸せの方向を向いて、向かってなければ感じれないので無かろうか?
逆に言えば、今幸せの方向を見失わず幸せと対峙出来るのであれば、幸せを感じるはず。
感じれなければ、幸せの方向を自分が向いてないだけなんでないか?
幸せの方向を、向いて歩いてる最中にみる景色とは、、、
花一輪美しく気高く映ると思うし。
虫達の営みも命の連鎖として愛おしく思えたりもするかも。
そして許しの気持ちが、湧いてくるような。そんな気がするんだ。

東を向いた景色の中では、全てが東の景色で、北を向けば全てが北の景色で、幸を向いた景色には全ては幸せの景色でなかろうか?

残念ながら、私は幸せの方向を向いてない様で、そこまで感じれないんだけどね・・・。

終活する君にアドバイスしようとは思ってない、ただ私の気付きかけたこの気持ちの文書を読んでほしかった。
終活を始めた君にどう思う?って聞いてみたかった。
今、リアルに生きてる君に聞いてもらいたくなったので書いてみた。

最後に
方向とは別に道というものもある。
王道であったり
邪道であったり
覇道や極道なんかもその一つだし神道もある。
京都なんかは道と東西南北の方向とが同じで、迷い難い作りになってるね。

方向は決まっていても
進む道は自分で決めるもので
その自分の道は目指す方向に行くための道なんだろう。
道を歩くのが目的になってないかい?

自己紹介よりも先に文書を
ここに乗っけて見たけれど
そのうち自己紹介もしてゆこう。



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