Ocean Li

・名古屋大学博士在学中 ・某大学非常勤講師 ・某ポールダンス国際大会総合優勝(アマチュ…

Ocean Li

・名古屋大学博士在学中 ・某大学非常勤講師 ・某ポールダンス国際大会総合優勝(アマチュア全部門) ・デジタル社会における人間の条件をテーマに研究を展開中 ・研究ノート、雑記帳気分で使用 ・ゲイ

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「接続さ(せら)れてる」時代

https://cktt.jp/68877?fbclid=IwAR3IVFMbdd86LC_IIfA5xHoSPKhfsh9M2JO-F6exHLnkL6sKT8XpQzqYY-0 今は誰もが「接続さ(せら)れてる」時代。 手軽に他人の情報にアクセスできる分、常に自己と他者の比較をせざるを得ない状況とも言えるし、自分が注目してる人物に見られている(はず・かもしれない)という期待に煽られて、「あるべき・そのはず」の自分の分身・『魔物』をSNSに産み落とす。 もちろん相手もまた

    • 言葉の政治

      まさに今「韓国語」における政治問題。 「あ」の発音はあるのに、ザ行では「ざ」の表記はあるものの「ざ」の発音がなく、「じゃ」と発音される。 しかし、「じゃ」の表記とその発音は別にあるため、非常にややこしい。 韓国人が「ありがとうごジャいます」と発音してしまうのは、そのため。 しかし、このように発音が紛らわしくなったのは、戦後の南北問題で北との文化的差異をつけるために意図的に「改良」された以降からであり、それまでの人々は普通に「ざ」と発音ができていたし、現在でも大陸や他へ移民した

      • つながっているのに孤独、ナゼ?

        人間の成長は、技術の発展に追いついていない。 そしてほとんど人たちたちは、その技術を受け入れる準備ができていない。 あまりにも多くの人が現実逃避でSNSの利便に縋っていることに、自覚がない。 SNS上での発信は、フォロワーの数とイイネの数に共感/承認の根拠を求める。 だがしかし、内容を見なくてもイイネは押せるし、イイネを送り合うこともできる。 そしてお互いに、この事実からは目を背け、フォロワーとイイネの収集に腐心する。 仮想現実での共感/承認は、所詮仮想でしかない。 LINE

        • 代弁者が語る時

          https://plus-handicap.com/2016/07/7557/ 誰かが「障害は個性のひとつなんです」って言った時、その「個性」という単語の中には政治と権力が潜んでいる事に気がついていたのだろうか。 余りにも多くの著名人や企業が弱者の「代弁者」をしているせいで、単語そのものがもはや商品化してしまっている。 そして、一般大衆が「代弁者」を通して認識したその単語の意味は、もはや本来の意味では無くなる。 単語=当事者 ということを、権力(公衆の場での発言や、S

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          与えられた価値観、様式という名の檻

          果たして本当に味が染み込むのかどうか、旨いかどうかはさて置き、膨大な時間と手間、贅沢な材料を費やすことに意味がある、と思われる。 世の中の人たちがこの様式の中に囚われて続けている限り、彼は"その様式の中で"権力と地位を手にしたことになる。 しかし、この様式から抜け出せられない限り、彼/彼女らに"真の意味での自由"は訪れないだろう。 また、彼はその権力と地位を手放したくないがために、この様式をより強固なものにするだろう。 そしていずれ、それは社会そのものとして認識され、

          与えられた価値観、様式という名の檻

          何が問題なのか

          もし彼女が人種も性別も異なれば、同じ発言でも異なる評価と異なる影響をもたらすだろう。 一つの可能性だが、彼女が高齢者、身体障害者、或はクィア(LGBTを包括した意味で)だったならば、より効果的だったと思われる。 注目すべき点は彼女の発する言葉が素晴らしいとか、米中の情報合戦だとか、或いはその他流通してる憶測やデマなどではない。 全米に広がるバイアスに対する抗議デモにも実はバイアスが潜んでいて、この抗議デモに対する抗議動画もまたバイアスの上に成り立ち、さらにはそれらをバイ

          何が問題なのか

          どうこのnoteを使って行こうか考えていた時、辿りいたのは脳内の整理でした。 何かのレビューをするわけでもなく、何かに対する批判でもない。 動画やテキスト、または文学/映像作品(映画)或は愚話、はたまた思考実験などを引用しながら淡々と客観的に自分の観点を述べるページ。

          どうこのnoteを使って行こうか考えていた時、辿りいたのは脳内の整理でした。 何かのレビューをするわけでもなく、何かに対する批判でもない。 動画やテキスト、または文学/映像作品(映画)或は愚話、はたまた思考実験などを引用しながら淡々と客観的に自分の観点を述べるページ。