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ヴィーガンが肉に似せたものを食べるのは

ヴィーガンが代替肉を使った料理を楽しんでるのを見て、「やっぱり肉を食べたがってて草 我慢しないで食べればいいのに」なんて言う人をよく見るんだけど、なぜわからないのか本当に不思議に思っている。

一言で言えば、「ノンアルのビールと一緒だよ?」

ビールの味が好き、人と飲むのが好き、だけど健康のためには良くないから、アルコールを含まず似たような味わいのノンアルのビールを飲みます、という人がいるように、

肉の味が好き、肉を使った料理に愛着がある、でも動物を殺すのは良くないから、肉を含まず似たような味わいの代替肉を食べます、というのの、何がおかしいんだろう?

生まれつきヴィーガンとして生きてきた人以外は、肉食が普通の文化にどっぷり浸かって育っている。ヴィーガンになるという選択をしても、それ以前に好きだった食べ物への愛があって当然なのだ。それを誰が責められよう。特に、「肉が好きだからヴィーガンになるのは難しい」と言う人たちこそ、その必要性がわかるはずだろう。

ヴィーガンって別に、「無欲」「ストイック」って意味じゃないから。自分の欲望のために他者を傷つけ搾取することをよしとしないだけで。

ただ、動物性食品を食べたい欲を「我慢している」と思われるのも違和感がある。ヴィーガンになりたての人にとってはそうだろうし、代替品が助けになるだろうが、ある程度続けていると、動物性食品を食べないのは当たり前になってくる。別に動物性食品を欲しているからではなく、新しいヴィーガンのオプションができたと聞けば、「そうなんだ。試してみようかな」と思うくらいのものである。それは、あなたがコンビニで新商品のお菓子を見つけて買ってみるのと同じようなノリであって、それはあなたがお菓子を我慢して飢えていたことを意味しない。

私にも、そんなノリで試してみて、継続的に使っている代替食品がある。カシューミルクとか、JUST EGGとか。あとは非ヴィーガンの人と会う時には代替料理が上手なお店を選んで、興味をひこうと試みたりする。

とはいえそういうのだけがヴィーガン料理ではなくて、私の日々のごはんのほとんどは、もともとヴィーガンなインド料理とか、味噌汁とか、野菜をシンプルに調理しただけの名前のない料理とか、そういう感じ。

どれもおいしい。

私がヴィーガンになる時に目から鱗だった言葉を最後に置いておく。

「ヴィーガンになるのは、食の選択肢が狭まることじゃない。むしろ、知らなかったおいしさに目を向けて世界が広がっていくこと。」

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