無口

最近気づいたが俺は無口だ。

家にいる時も相槌を打つことや一言二言発するぐらいで、

あんまり喋らない。

というのもそうなったのは元からというよりは、

いや、元からそこまで喋る方では無いけれど

子供が生まれてから更に無口になっていった気がする。

でも理由みたいなのはちゃんとあって、

勿論無理して喋らないようにしてるとかじゃなく、

これが楽だからってのは大前提としてあるんだけど、

例えばペラペラ喋る人が好きじゃないみたいな尖った理由ではなくて、

自分に目を向けたときに割と喋っていた頃の自分があまり好きじゃない

というのはある。

あと一番大きな理由としては、声に限らず、

音っていうものは空気の振動で出来ていて、

逆にいうと全ての音が空気の振動でしかない。

しかしそこに音色だったり、言葉、感情が乗ることでプラスにもマイナスになる。

というのが音楽だと思っていて、

なるべくネガティブなことを、まあ考えるのは仕方ないにしても、

口に出したくない(世に出したくない)みたいなのはあって、

逆に、良いエネルギーは日常でも勿論使いたいんだけど、

やっぱり優先的に音楽にしたいんですよね。

だから言葉を吐くときはマイクの前で、なるべく良い影響を与えられる様に

聴いた人が。そんな事を思っている。

だからもしかしたら言葉というものをちゃんと大切にし始めたのかもしれない。

おしゃべりな人はおしゃべりな人で、それはそれでいいなとも思う。

人を気持ちよくさせたり、場を明るくする様な、

コミュニケーション能力に長けた人は素直にすごいと思う。

ただ自分の場合は、いい物は音楽に使いたい。

言葉にすると実現するというのをよく聞くけど、

多くの場合にそれは夢の実現とかに使うけれど、

実はネガティブな物も等しくそうだと思っていて、

例えば「どうせ俺なんか」とか、

そういうのを言葉にして口から出したら、

そうなっていくとも思うんですよね。

だから言葉にするっていうのは良いことだけでは無いっていう。

俺の持論ですけど。

文章と喋りってまたちょっと性質の違うものだとも思う。

例えば文章を読む時って自分の頭の中の声で再生されるけど、

歌を聴くときや朗読を聴くときなんかはその人の声で届けられるわけで、

いい意味で逃げ場がないというか。

だから詩と声と音がバッチリ合わさった時、

逃げ場がないが居場所になると思うんですよね。

終わり。

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