満月に願いを聞かれても、わたしには何も答えられない

今夜は満月。

旧暦を意識して生きてみたいと、去年ぐらいからぼんやり思っていた。
旧暦とは、太陰太陽暦のこと。
現在の太陽暦より前はこの暦が使われていた。

月の満ち欠けを基準にした太陰暦が使われていたと認識してたんだけど、違ったみたい。
それだと、太陽の一年の動きと比べたときに約11日短くなってしまうから、三年に一度閏月を入れて調整するようにしたのが、この太陰太陽暦。

つまり、旧暦は太陽を基準にした季節とは、ズレが大きく生じてしまう。
だから、明治から太陽暦、いわゆるグレゴリオ暦が採用されたらしい。

というわけなんだけれど、昔の営みじゃないが、旧暦の方がなんだか感性に合いそうという妄想を抱いて、月の満ち欠けと旧暦がよくわかるカレンダーを買って過ごしている。

それによってわかったのは、旧暦は月の満ち欠けをベースにしているだけあって、大体毎月同じ頃に新月と満月が来るのだ。

わかりやすいのが月初。
月の始まりはゼロ、つまり新月から始まるのだ。

これを意識し始めたら、まぁたまたまかもしれないけど、お祭りとかが大体新月から満月にあたってたりして面白いなと思うことが増えた。

当たり前だけれど宗教行事だから、天体や季節の動きに敏感に設計されているはずのそれが、月の満ち欠けと連動していてもおかしくはないのだ。

ということで、新月と満月の日は、なんとなく外にいることが多い。
わたしなりの儀式で、焚き火をしたり、月を眺めてぼーっとしたりしているからだ。

今日も本当は焚き火をしようと思ったのだけれど、ここ最近鬱々としていて思うように行動できてないので、ついさっきまでごろごろしていた。

月によく、願い事を掛けていた。

月というか、夜空に、世界全体に語りかけるように。

今日もそうしようかと思ったのだけれど、何も思い浮かばなくて。
今の自分の状態がよくわかった。

今、わたしの中では物語が一つ終わろうとしている。
約三年にかかるそれは、わたしなりに最後になるはずのものだった。
でも、成し遂げられず、また思った今後についても着地できずに、降りることを決めた。

志半ばとも言えるけれど、正直なところ、起動もせず軌道にも乗らぬまま終わったとも言える。

ただ、とはいえ。
お題目のように唱えていた目標はあって、それはとてもわかりやすい願い事ではあった。
どうして宗教にお題目があるのかよくわかる。
何もなくとも、それを唱えればよいのだ。その単純さたるや。

逆に、ただのお題目になってしまって、その解像度がひたすら荒いままだったことについても、思い知らされる。

新しい人生について。
そもそも、2020年以降、強い欲望も願望も欠落したまま生きている。

2021年に病床で強烈にそれを自覚して、でも新しく始まる物語に、この魂が再び起動する期待を掛けて臨んだけれど、結局そうはならなかった。
何か残滓に触れたような気はしたけれど、それを増幅するには至らなかった。

何よりも。
わたしが一番嫌いな、どうしようもない大人の事情に萎えた。一瞬で。

この物語は今年いっぱいは続く。
とはいえ、気持ちが途切れた瞬間次に進まなければ死んでしまう生き物でもあり、こうしてよちよち歩きを始めている。

筋は通したいので、本格始動というものがあるとすれば来年始にはなるが、それって一体何、とも思う。

あの日の病床での問いをもう一度呟くのなら。
何か成し遂げたいことが、わたしには残っているのだろうか。

結局、音楽はまだ続けたいとは思うものの、この身を焦がすほどの炎をやはり燃え上がってはいなくて。
焚き火の終わり際の火、という言い方すらいいふうに例え過ぎと思うほど。

そう、例えあの満月が万能の願望器でも、今のわたしにはそれに見合う願いがないのだ。

まさかわたしに、こんな日が来るなんてね。
いつでも無駄に熱くて、目的の塊みたいな人間だったように思うのだけれど。

ただそれも。
これという命令が入力されて、それに従って駆動していただけなようにも思う。
設定されたロールにしたがって、愚直に進むプログラム。

ある意味、毒が抜けて、普通の、ありふれたモブだということに気づいただけなのかも。

人間には生まれてきた意味も、使命も、存在意義も、価値だって本来的にはない。
だからこそ、子孫を残すこと以外には特に目的意識なんてなくてもよい存在のはずなのだ。
この地球という環境において。

想定されていた以上の自己進化あるいはバグで、ベースである環境の上に別の環境を構築してしまったたからこそ、本来の仕様以上の自由度を与えられた我々はずっと困惑し続けているだけ。

何もなくてもいいはずなんだけどな。
でも、それを許さない環境にいつの間にかなってしまった。
自己実現とかいう呪いにかかって、苦しんでる人だらけじゃないか。
比べなくてもいいものと比べさせられて絶望している人ばかりじゃないか。

そういう大掛かりな自滅プログラムだっていうなら、まあ納得しないでもない。

月もそりゃ、隠れてしまうよ。

さて、わたしはどう生きようか。
何を願い、何を成すのか。

毒が抜けたまま、土に還るのか。

もう一度服毒して、狂ってみるのか。

そんなわたしを、月だけが見つめている。

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