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思い出のクリスマスプレゼント

私は、冷めた所のある人間であると思う。

誕生日には、物心ついた時にはケーキもプレゼントもなく
祖父母からのお祝い金がもらえるのみだった。

クリスマスには、基本ケーキだけ。

これらと、バレンタインデーにチョコがもらえない事が重なって

「テレビでやってるほど、現実は華やかではない」

と思い、自分を納得させるために
「テレビに惑わされちゃいけない。ケーキ屋/チョコ屋/おもちゃ屋の陰謀!」
と早くから思うようになり、早々と"戦後に始まった行事否定派"になった。

50過ぎた今でも、その影響はある。
年賀状は早々と辞めたし、夫婦での誕生日も4~5年で何もやらなくなった。


そんな自分が記憶に残ってるクリスマスプレゼントが
「ヤマザキパンのトラックのミニカー」だ。

その年の12月25日の朝、初めて枕元に違和感を覚えた。
もう既にサンタなどいないと思ってた私が、包装(どんなのかは記憶失念)
を開けると、「ヤマザキパンのトラックのミニカー」が入ってた。

当時スーパーカーブームで、デコトラも流行ってた。
それらならまだしも、何だこれ?と困惑したのを覚えてる。
弟にも同じものが入ってた。

親はサンタがいる調子で話すし、誰にもありがとうを言わず
時間は過ぎていった。


私の実家、4歳~18歳まで育った場所は
今でこそ、徒歩圏内にスーパー・ドラッグストア・コンビニがあり
1km先に地域一のケーキ屋まであるが、
私の小学生時代は、「よろず屋」しかなかった。
スーパーは隣町まで車で行かねばならないような所だった。

クリスマスケーキを予約しようにも、
自治体内にはヤマザキパンを売ってる店すらなく、
これも隣町のパン売ってるよろず屋で予約するしかなかった。

父は某政令指定都市の港近くの工場へ毎日1時間掛けて車通勤していた。
イブの夕方に駐車場すらない隣町のよろず屋に車で寄り、
ケーキ受取りだけでも面倒な事だ。
ついでに店にあったミニカーを手に取った、または販促品だったのだろう。

この事に気付いたのは、私が初めて親になって迎えたクリスマスの時だった。
「12歳の娘含め、どう過ごそう?」となった時、
「親に何してもらったっけな」を思い返した。

それまで「現実主義」という方針で子供を育てたと思ってたが
そうでもないかも?と気付いた。
プレゼントまで用意しようと思ってもやりにくい環境だったんだ。

あのミニカーには、少しでもの気持ちが入ってたのかもしれない。
当時のオレは何て塩対応だったんだ!とも思うが、
まだ子供だったし、それまでの積重ねもあるし仕方なかったよね。
そもそも父は覚えてるかな。


(あとがき)
この文章上げるのに、ヤマザキパンのトラックのミニカーの画像検索したら
トミカのがプレミア付いててAmazonで3900円で売ってて驚きました。

40年以上前のプレゼントは、箱に入ってなく透明プラスチック+裏厚紙のタイプ。
「トミカ」銘もなかったかも。

しかし、未使用状態だったらトミカのより高価だったのではないか。

「これ開けず何十年取っとけ」ってサンタからのクリスマスカード付だったら、
父をとてつもなく尊敬してただろうな…。

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