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娘の自宅出産(2009年著)

 「どうしてあんなに頑固だったんだろうね。あれは絶対自分だけの意志じゃなく、この子にそうさせる何かがあったんだと思うよ」  娘の菜穂子が、何がなんでも自宅で自然出産をしたいと、どうしても譲らなかったあの異常なまでの頃を振り返って言った。元々菜穂子は、自分の考えをはっきり持っていてこだ わって生きている。環境破壊やいろんな意味で荒廃したこんな時代だからなおさら、自然なものや日本的なもの への関心はとても強いのかもしれない。そういう彼女の日頃の暮らし方や生き方を側で見ながら、私自身も教えられたりしている。

 しかし今回は度を超していた。昨年の春、彼女に3人目の子を懐妊したと知らされた。3人目の報告は予想外でちょぴり驚かされた。上二 人は男の子なので、出来れば今度は女の子であればいいね・・・とただ単純に喜んだ。里の母親としての役目がまた到来する。予定日は12月下旬。それじゃ今度はいつものような年末もお正月もないよね・・・と皆が思った。娘のつわりはけっこう酷かった。パートの自然食のレス トランでの仕事は辞めざるを得なかったが、吐いたりぐったりとしながらでも、2人のやんちゃ盛りの男の子を育児してどうにか乗り切った。私にはつわりの記憶はない。とても軽かったか無いに等しいくらいだったのだ ろう。その代わりとは言えないが、若い頃毎月の生理痛 は病的にきつかった。でも子供を産んだことによってそれは治った。女性の体は一律ではない。人それぞれ違う。だから自分とだけを比較してああだこうだと言うことは出来ない。どうして娘のようにあんなに苦しいつわりがある者と、全然何ともない者とがいるのだろう。そしてその違いは何なんだろうかと思う。

 さて自宅出産の話であるが、上2人は、実家である私の住まいに近い産院で生まれたので、今回もそうするものと思っていた。現に今度も妊娠6ヶ月位まではその産院に定期的に娘は通っていた。 赤ちゃんも女の子であることが判った。そんな9月の初め、娘は今回は自宅出産をすると言い出した。本を読んだりいろんな人の話を聞いたりしてずっと以前よりこの思いになっていたという。病 院で生むのが当たり前だと思って何の疑問も持っていな かった私は驚いた。そして反対した。他のことならともかく命に関わること。まず今時、家で助産師さんだけでほんとに大丈夫なのか・・・とにかく心配が先であった。それから2ヶ月近く私と夫、それに娘の夫であるTくんも 交えて何度話し合ったか…。 娘は私に長い手紙で訴えたりした。何かあったらどうするの・・という私の強い言葉にもキチンとした彼女なりの答えを示した。

 家族でその時を迎えたい。命の生まれかたを幼い子供に知ってほしい。知ることでこの先の人生、命を粗末にきっとしないようになると思うから、その為にも出産を日常の中で行いたいと言う。娘の言う事が解らないでもない。こんな時代、インターネットや携帯電話なんかでも歪んだ性の情報も氾濫しているだろうから、まともな 生と性を育んでやりたいと思うのだろう。それでも子供を出産に立ち会わせるということに最初とても抵抗が あった。問題がいくつもあった。

 娘は1冊のぶ厚い本を読んでほしいと持ってきた。 『お産って自然でなくっちゃね』(農文協)というタ イトル。著者は元一般の産院で長年赤ちゃんを取り上げた医者であり、その後医療介入しすぎる今の産院に疑問を持って、自然なお産が出来る妊婦さんの寮のような産院を作られた吉村正という医者である。この人の話は以前テレビで紹介されて見たことがあった。娘が私に言うのは、知らないでただ反対してほしくないとのこと。もっともなことなので私も勉強することにした。最初は読まなければとの思いで読んで行ったが、読み進めて行く内に今まで知らなかった生の神秘というようなものを知らされる感じがして、興味深く読み終えた。そしてこの本に出会えてよかったと思った。この本を読んだだけでも娘の気持ちが理解出来た。自然にこだわりを持って生きている菜穂子である。こういうことを知ってしまえばもう後戻りは効かないだろうな・・・と心で呟い た。

 本の中で印象的だったのは、赤ちゃんは生まれ出て来るとき螺旋に廻って降りて来るという。そしてこの世に初めて顔を出す時には母親と対面するように必ず前を向いて出てくるというのだ。世の中の自然すべてに摂理があるように、その中でも特に命が生まれるというそのメ カニズムは神秘であり不思議である。健康で正常な状態であれば自然に生まれるようになっているはずである。今の産院の問題点の一つには健康な妊婦にまでいつの何時に生みましょうと決められる場合もあるとか。とにかく本を読んだり、自宅出産の講演があるから参加費は自分が出すから聞きに行ってという娘の要望で、講演を聞きに行ったりして自然分娩の良さは解ったが、熊本にはまだ希望に叶う助産院はないという。福岡まで行けばあるそうだが、それもムリな話だ。いろいろ悩み話し合い、結局のところ自分の家庭のことだから夫婦の気持ちが一緒ならばしかたがない。Tくんが是非と言うなら協力しようということになった。最初Tくんも自宅で産むことには反対だった。 Tくんの両親も私達と同じように思っておられるのが分かっていた。そういうことであるから、自分の意志を通したい為にもっと大事なこれからの大きなものを失うような気がして諭したりしたが、娘は涙しても揺るがなかった。頑固な娘もここまではと、いつにない強さにどうしたものかと案じた。夫婦げんかもしたらしいが、 Tくんが10月の末頃自宅出産させたいから…と言って来た。夫は静かに聞き、そしてこのことを後に引きずらないかと気持ちの再確認をした。ならばと、それからは皆が自宅出産に向けて気持ちがすっきりと切り替わった。 菜穂子は涙を流して喜んだ。彼女は自然分娩をする為に 助産師さんからのいいつけをキチンと実行していた。食 事・体づくり・呼吸などであるが、特に体づくりに関し ては意地もあって頑張っていた。それに食べた物・体調・便の様子や心の動きなども日々記録した。生むが生むまでとても元気に動いた。 私はもう心配していなかった。

 年末年始が過ぎて2週間近く予定日が遅れても慌てることがなかった。 ただ娘は 2週間を過ぎると病院で産むことになるらしく、それなら何の為に今までやってきたか分からなくなると思ったようだ。ギリギリ手前の日、夜中の12時過ぎ、陣痛が始まったと電話が入りTくんが私を迎えに来た。私が着いた時に台所で圧力鍋がシュウシュウと音を立てていたので聞くと赤飯を作っているという。 陣痛が始まったらしようと思っていたと言う。私の使い慣れな い圧力鍋なので結局、陣痛の合間数分を何度か行き来して最後まで菜穂子が赤飯を作り上げた。火を止めると同時位に助産師のMさんが来られ、続いて、もう一人助産師のNさんが駆け付けられた。もう間もなくということになった。私は生まれる時は隣の部屋に居た。3歳と5歳の2人の男の子を、Mさんが連れてきて下さいと言われたので起こして部屋に入れた。フウーフウーという音に混じってママ頑張ってと言う声が聞こえた。と思うやオギャアーと聞こえ、生まれたと安堵した。満ち潮が3時だからその頃だろうと思ったように3時を過ぎた頃まさにポロッとというように生まれたようだ。 超安産であった。私も部屋に入った。赤ちゃんはへその緒がついたまま母 親の胸に抱かせられた。赤ちゃんは灰色っぽい紫色ぽい 油脂でべっとりした感じである。2時間位つまり胎盤の動きが落ち着くまでへその緒を切らずにそのまま抱いているとのこと。そしてその時間が親子の体にも心にもとてもいい状態を将来に向けて作られるのだという。不思議なことにあのベトベトした油脂のようのものが赤ちゃ んに吸収されたのか、さらさらになって消えてしまっ た。それから父親とお兄ちゃん2人の手によってMさん指導のもと赤ちゃんと母親を結ぶへその緒は切られた。いろんな処置がある程度済み落ち着いた頃、私は娘が作った赤飯をお皿についでお盆に載せて持って行った。赤飯で皆でおめでとう!乾杯! Mさんも自宅出産で今まで60人以上取り上げたけど、赤飯をいただいたのは初めてと言って、勧めたらお代わりされた。一旦2人の助産師さんは帰られて、数時間してMさんはまた来て下さって赤ちゃんと母親の世話を丁寧にされる。産湯も入れてもらい、私は映像記録係になった。母親は3日間布団から動かないでいるのだそうだ。骨盤などが元の状態に戻っていくためには極力動かないでいるのがいいと。

 あんなにこだわって自宅出産を希望した菜穂子は幸せに浸っている。日常の中でごく自然な状態で出産出来たことを喜んでいる。5歳になる長男くんは「赤ちゃんを 産んでくれてありがとう」と何度も母親に言っている。3歳の次男くんは赤ちゃんがかわいくてしかたがないようで頭を撫でたり顔をひっつけたりする。赤ちゃんが生まれてすぐから2人は自分の家の前からいつものように迎えのバスに乗って幼稚園へ行く。

 私が反対していた時、娘からの長い手紙の最初に〈扱いにくい娘でゴメン〉と書いてあったけど、すべて結果オーライでよかったネ!手紙の最後には〈こだわりすぎかも知れないけど、私はこだわって丁寧に生きていきたいです〉とあった。 3人目の孫ちゃん、あなたもきっと母親のように、いえそれ以上に意志の強い女の子になるのかもね!楽しみだわ!

2009年2月 Fumiko

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