80歳までセカンドママ
【百万人の夢宣言~お母さんが夢を語るルーム42~】
齊木聖子さんの夢は「80歳までセカンドママ」でいること
15年間続けた夜間託児所
大牟田市在住、1児の母、斎木聖子さん。15年間続けた夜間託児所のこと、ご自身の小さい頃からの経験を踏まえ、「80歳まで、セカンドママをしたい」と次のように話をしてくれました。
25歳の独身時に夜間託児所をスタート。娘を産んでからもしばらく続けていましたが、夜間託児所はすきま産業で、預かる子を増やしたいわけではなかったこと、自分自身の子育てとのギャップも出てきたことが理由で、娘が3歳になったときにスパッと辞めました。セカンドママとして生きていきたいという夢があったので、途絶えてしまったと残念に思っていましたが、託児所にこだわらなくてもいいと思いはじめました。二人目の流産を繰り返したこともあり、「里親」という道が降りてきました。私はやっぱり子育てがしたい。里親になろう!と。
里親になりたい
同居なので、夫はもちろん義理の両親の理解も不可欠です。最初に相談したら、流産をしたばかりでもあり、両親からは「里親なんかやめて!」と言われ、夫も心の底からは良いとは思っていないことがわかりました。
私は託児所などで子育ての大切さやいろんな子どもたちと関わることの素晴らしさはわかりますが、両親にそれはわからないのは当たり前。まずは他の子どもたちが家に来ることを味わってもらおうと「お泊り会」をしたり、「お母さん業界新聞の折々おしゃべり会」をしたりして、徐々に娘以外の子どもが家に来ることを当たり前にしていきました。
そして、私は私で里親の研修を受け登録、書類を提出。大人4人が揃っているときに児相の方に説明に来てもらいました。すると、子どもに対しての思いが伝わったのか、義母からは「夫婦の問題だから、夫がOKならいいよ」と。晴れて2月3日、児相の方が家に来ての審査会が無事に行われ、全く問題なく登録ができました。
反対していた両親も…
登録し2月末には一時保護の子どもが早速わが家へ。11泊12日という、はじめての里子にしては異例のちょっと長い期間預かることに。お母さんのレスパイトとしてのお預かりで、いろいろ大変な面もありましたが、その子が帰った後、「あの子はどうしているかなー」「かわいかったねー」や、「コロコロと子どもが変わるよりも、できれば同じ子を預かりたいね」と両親の方から言ってくれ、これが子どもの力だと感じ、これからの里親がやりやすくなりました。
子どもに心を尽くすこと
私は子どもとしか関わってきておらず、子どもの育ちをずっと見ていたいと思っています。夜間託児所も里親も大変な子どもたちが多くいます。でも、子育てはわが子もよその子も一緒。別物とは思っていません。子どもに心をつくすこと、歩み寄っていくことでどんな子どもでも、ちゃんとわかってくれます。
私は4歳の時に母親が亡くなり、父子家庭でした。地域のいろんな人に関わってもらい育ててもらいました。子どもは群れながら育つ。大人が教えなくても、いろんな人と関わることで何百倍も吸収します。小さい頃から多様性
を持っていると楽です。
わが子と同じように愛情を注ぐ
今、クローズされたお母さんと子どもたちが増えています。子どもはみんな宝物。同じ教室にそういう子が必ずいます。でもわかりづらい。ぜひ、そういう子がいるんだという視点に立って関わること、またその子たちにたわいもない話をする、わが子と同じように接することがとても大事だと思っています。誰もがわが子と同じようによその子にも関わることができれば、やさしい社会になると思います。
小1の娘に「ママはおばあちゃんみたいなおばあちゃんにはならないと思う」と言われました。80歳までセカンドママとして、元気なスーパーおばあちゃんになることが私の夢です。
齊木聖子さんのMJ(お母さん記者)記事はコチラ
http://www.okaasan.net/author/saikiseiko/
湯番 池田彩