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夏至と父の日

夏至は1年のうちで陽氣がもっとも盛んになる時。
生命力と行動力に溢れ、新しい一歩を踏み出したり
色んなことに興味を持ちどんどん動いていける時。

「夏越祓に水無月を食べるわけ」

私たちは環境に生きる生物で、自分たちが暮らす土地の風土と食を知ると、自然の理にかなっているなぁといつも感心する。
京都では欠かせないのが夏至の頃
6月30日の夏越祓に「水無月」を食べること。
氷を模した三角形のういろう生地の上に、魔除けを表すあずきがのった和菓子で私が岡山にいた頃は見たことも聞いたこともないものだった。

「小豆」は薬膳的にみると
カラダに余分に溜まった水を排出させたり、解毒作用がある。
京都は盆地で夏は息ができないほど蒸し暑くサウナのようだから、
カラダに余分な水が溜まり、外気の湿度も高いとなれば
当然カラダに不調が出てくる。
浮腫んだり、頭痛がしたり、カラダが怠くて重くて思うように動かない。
そうすると京都の人にとって湿気は最大の敵で
カラダに溜まった湿を取り除くという事をとても大切にしてきたのではないのかなぁと思う。
本格的な暑さを迎える夏至に「小豆」を食べる事で邪気払いとし
健康を願ってきたのではないのかなと思う。

「夏至と冬至」

夏至がもっとも生命力に溢れている日だとすると
冬至は陰が極まりもっとも死に近い日と言われている。

ちょうど半年前、冬至の日に私は父を亡くした。
父の手を握り泣きながらぼんやりと
あぁ今日は冬至だなぁ。
パパの命は大きな自然の流れの中にいて
もうそれは抗うことはどうやってもできないんだなぁ。と
人間の力を超えたものに対する畏怖のようなものを感じていた。

「父のいない父の日」

父がいないなんて信じられないと今も思う。
私が生まれてから絶対だった世界はもう変わってしまった。
時々思い出したりして泣いたりもするけど、
死を受け入れていないわけでは決してないし、
父の不在を私はゆっくりとじっくり哀しみながら、懐かしみながら自分のペースで受け入れている。
父の死は父のことを聞かれたら答えるくらいで、特に自分からは話さないし
今はまだ思い出を語ったりはしたくないし出来ないけれど、
父の事や、特に父の病気の事なんかは同じように悩んでいる人に役立つかもしれないので、この先少しづつ文字に残していけたらいいなぁとは思っている。

そんな感じで今年の父の日はちょっと戸惑っているし
皆んなが当たり前のように今年も父の日のことを考えれることが
少し羨ましくも思ったりして。

だから益田ミリさんの「父のいない父の日」を読む事にする。

スーパーの袋をぶら下げながら歩く夕暮れ。
もうすぐ父の日だった。
半年前に父を亡くした私にとっては、自分の父親がいないはじめての父の日でもあった。
もうなにもあげられないのだなぁ、と靴屋の前を通り過ぎる
  「父のいない父の日」   益田ミリ

今日は上賀茂神社で茅の輪をして
父の大好きな葵の焼き餅を買って帰ろう。(食べるのはわたし)



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