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物心ついた頃から「水戸ホーリーホック」という沼に住んでいた。

「HAYATOが水戸ホーリーホックの沼に入ってしまったのは俺のせいだと思っている」

これは今シーズン、試合帰りに父が僕と妻に発した言葉である。

試合は確か敗戦で、

生まれてこの方、n回目の塩試合だったのでもう忘れた。

普段、頑固な父が自分の過失(?)らしきモノを認め、謝ることが珍しく、思わず爆笑してしまった。

実際問題、直接手を下したのは父なので否定は出来ないのだが・・・。

初めて水戸ホーリーホックの試合観戦に行ったのは2000年4月16日vsサガン鳥栖戦。

もう23年以上前のことである。

当時7歳の僕は、昨シーズン(JFL)から水戸の試合を観に行き始めた父に連れられ日立市陸上競技場に足を運んだ。

今でも、たまにどんな試合だったかな〜〜と過去の記録を漁ると、笠原宗太という選手が98分にゴールを決めて勝っていたようで。

おそらく延長Vゴールでの劇的勝利だったのであろう。

正直、もう覚えていない。

が、勝ったことは覚えていた。

2000年シーズンはバビチブランコさんという水戸の歴史では珍しい外国人監督が指揮をし、ジョンパウロ、クレーベル、ペレスといったブラジル人3人組が躍動した年ということは覚えている。

父が村田教生のFKが好きで、幼い僕も影響されて好きになった。

そこから5月7日のvs仙台、5月14日のvs浦和戦と足を運び、見事に底なし沼に着陸した。

(そんな父に皮肉を込めてプレゼントを)

さらに昔の話をする。

時たま、Twitter上で古参サポさんが「老guy水戸サポ」的なネタを提供していただける時があるのだが、僕はだいたいネタ元が分かってしまう。

「自分も老guyなんだなあ」と思いながら昔の話をする。


2000年初期、茨城では当たり前の事実ではあるが鹿島アントラーズは強烈だった。

今でも優勝決定戦のジュビロ戦で小笠原がFKを決めたシーンを鮮明に覚えている。

僕の周りも、赤色だった。

学校に行けばアントラーズの無料チケットが配られ、

友人たちは皆、鹿島アントラーズの下敷きを使い、

地域のアントラーズサッカースクールに通う。

そのような中、これまで幾千もの人との出会いの中でいつも聞かれる言葉がある。

「なんで鹿島を応援しないの?なんで水戸なの?」

知らん。

物心ついていた頃からそうなっていた。

確かに鹿島の方が知名度があり、選手も上手いし、スタジアムも熱気がある。

でも、すっからかんのスタジアムで、汚い野次を受けながらひたすらに走る水戸ホーリーホックが好きなのである。しっくり来るのである。

運命(資金力)に抗いながら、一つでも小さな成功を積み重ねるこのチームが良き。

ここに一般人が理解できる合理的な理由は、ない。

この質問を受ける度に、カッコよく言えば内省が深まり、適当に言えば「we are Mito アレアレアレ!!」と自分はナニモノかと考える日々が続いた。(言い過ぎ)

このような思考のベースがあるので、今のチーム応援環境はかなり良くなったように感じる。

水戸ホーリーホックのグッズは潤沢にあり、SNSを通じでチームと触れ合う機会が多分にある。

子供達も胸を張って「水戸ホーリーホックが好き」と言える環境。

グッズも豊富。

ガチャなんて最高。ガチャで人生狂わす人も出てきそう。

グッズ制作担当の皆様、いつもありがとうございます。

※サポの皆様、今年のユニフォームもカッコいいのでお金に余裕があればご購入を検討ください。


当時7歳のHAYATO少年に、現在、齢30のアダルティHAYATOは言いたい。

「沼は想像以上に深かったよ。」

まさか、20代中盤に水戸ホーリーホックの沼にさらに深く深く沈んでいくとは・・・。

そのあたりはまた今度、投稿させていただきます。

今日も一日お疲れ様でございました。

P.S
契約更新をしてくれた安藤瑞季選手、春名竜聖選手ありがとうございます!!!

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