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車内アナウンスとBGM

4月から1時間の電車通勤。

イヤホンで音楽を聴きながら、携帯のKindleで本を読む。できることが限られてる時間は、今の私にとって幸せで貴重だ。できれば、座ってこの時間を過ごしたいと思うが、贅沢なので慎もう。朝から気持ちよさそうに眠っている大の大人をみて不思議に思っていたが、今は首が音をたてるのではないかと思うくらいに頷ける。これも、きっとそのひとの「できることしかできない時間」だとおもう。今から社会の一員としてしっかり働くんだ。すこしだけ転寝、最高。

読書が好きで、Kindleを買ってもらった。1-2日あれば1冊読んでしまう。読みたいものはその時その時で違うので、ここに関しては大盤振る舞いのわたし。今日は寿木けいさんの「泣いてちゃごはんに遅れるよ」をおともに、あと30分。

音楽はBGMというに相応しい音量で聴いている。すると、「次は○○〜」という車内アナウンス。若い、女性の、はっきりした声。嫌な声では決してないけど、読書をしっかり遮られてしまった。こういう類の音や声は生活音として溶け込めていてこそ、だと感じた。あなたがメインじゃないのよ、そう心の中でつっこんだ。アナウンサーを目指した女性が「声」を仕事にすることは同じだから、と車内アナウンスをしているような、そんな感覚。入学式でお着物を新調し髪型もバッチリ決めた母親のような、チグハグした感覚。

そしてふと思った。
今の私の仕事でも言えることなんじゃないか。

わたしは学校看護師として働いている。医療的ケアを必要とする児に注入や導尿などをするため決められた時間に学校に巡回し、ケアをして、すぐに帰る。休み時間のときもあれば、給食後の掃除時間のときも授業中に行うときもある。
わたしが対象としているのは「医療的ケアが必要なこども」ということではなく、学校という場で「教育を受けるこども」という前提がある。病院、クリニックでケアをするのとは違う。周りには懸命に黒板の文字を板書するこどもがいて、手をあげて発表するこどもがいて、難しい問題を解いている真っ最中のこどもがいる。その子どもたちの教育を遮ることなく、手際よくケアを遂行する。

通勤時間に自分の仕事の「立ち位置」を確認することができた。車内アナウンスのお姉さん、ありがとう。

今日もがんばろう。真剣なまなざしで黒板をみつめるこどもたちをみるのが、毎日新鮮であり楽しみの一つである。

#医療的ケア #看護師#電車通勤#BGM

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