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バンド

凡ミスによって連続更新が途絶えてしまったショックで朝方まで眠れなかった。
飲み歩いて更新しなかった、疲れて果て寝てしまって更新できなかった、等々の理由であれば、まあ更新できなかったけど別に毎日更新するとは一言も言っていないし更新しなかったとて、と開き直れるものだけども、ちゃんと更新する気で日記を書き進めていて、そろそろ投稿するかとiPhone上部真ん中の時間を見たら「00:00」だったときの切なさよ。
これを何に例えたらいいのだろう。うまい例えが見つからない。うまい例えが見つからないのであればこのことは書かなくていいのだけれども、うまい例えが見つからないということをちゃんと皆様にお伝えしたいのでGOを出している所存だ。

いやしかし、途絶えてしまったから書くけど、折角始めたからには毎日やろうと密かに思っていたからショックがデカい。毎日更新しようと思ったことすらできないのかお前は憐れな奴だ、とぼくの中のぼくがぼくに言ってくる。

まあ、ほんとのことを言えば、朝方までyoutubeやらTVerを観ていたから、単に更新できなかっただけで眠れなかったのではなく、ちゃんとじぶんの意思で起きていたところが大きいので少し大袈裟に物を言い過ぎたことを謝りたい。やはり、人はできるだけ誠実でいなければならない、と思っている。まあそれがこういう形で誠実と受け取られるかどうかはわからないけれども、そしてこういうことを書き残している時点で誠実ではないのかもしれない、という疑念も生まれてくる。書いていけば書くほどじぶんの愚かな面がどばどばと溢れてくるので、そういったものともちゃんと向き合ういい機会なのかもしれない。

まあ、もう過ぎてしまったことなのでうじうじしていても仕方がない、また今日から始めればいいことだ、ただもう毎日なんて更新はしない。と、一応また凡ミスがあったときの為に書いておこう。
これを書いてわかったことだけど、ぼくは決して誠実な人間ではない。

10:00過ぎにアラームをセットしていて目が覚めた。アイスコーヒーを飲みつつ準備をしてスタジオへと向かった。
前にも書いたかもしれないけど、今年の2月から月に一度スタジオで練習をしている。4月と5月は都合が合わずに行くことができなかったから、約3ヶ月振りのスタジオでの練習となった。
今日は楽しかった。あっという間に3時間が過ぎていた。やはり、人と会っていっしょに演奏することは楽しい。
iPhoneで録った練習の音をここに貼りつけて聴いてほしいくらいだけれども、他の人の許可を得ていないのでできないのが悔しい。

今日の練習の音源を貼り付けることはできないけど、以前ぼくがやっていたバンドの音源をこのnoteという場所に貼り付けておこう。

2018年4月1日に長野のネオンホールというぼくの大好きなライブハウスで演奏した際の音源だ。高円寺の古道具屋で購入した古いカセットプレイヤーで録音したものなので、音質がかなり悪いのでご了承願いたい。まあ、その他諸々特にぼくの歌唱などは音質云々の問題ではないのだけれども、それも御容赦願いたい。

2016年夏頃から2018年末まで約2年間、友人2人とぼくの3人でバンドをはじめた。「なにかおもしろいことをやろう」というのがバンドを始めたきっかけと理由だった。ぼくはギターを任された。

ぼくがバンドをやるのははじめてではなかったけど(大学一年生の頃以来だった)、20代も終わりに差し掛かっていてバンドはやりたいけども腕はないしツテもないしこのままバンドなんて組むことはないんだろうなあ、と考えていた。しかし突然、そのとき最も親しい友人たちとバンドを始めることになるとは思ってもいなかった。じぶんの意志とは異なる方向で、突然物事が進むときがある。

上野にある練習スタジオに入って、荒井由実の「卒業写真」を課題曲にしてはじめたのが最初だった。単純に、デカい音でギターなりドラムなりベースなりの音が鳴っていることが楽しい、普段の生活では味わえないことだ。
なかなかそれがおもしろくて、次の課題曲は南野陽子の「話しかけたかった」をチョイスした。そのあとは松田優作の「灰色の街」だった。いまにして思えばなかなかいい選曲だったと思う。

そのあとオリジナル曲を作ろうという話になって、ぼくが作ることになって、いろいろボツになった曲があったけどレパートリーが3〜4曲くらいになって、そろそろライブとかできそうじゃない、という話になった。

ぼくらがバンドをやり始めたときにぼくがどうしてもやりたいことがいくつかあった。
ひとつ目は、物として録音したものを残したかった。それがCD-Rでも、カセットテープでもなんでよくて、いちばんはレコードにするのが夢だったけど、シングルでもミニアルバムでもいいから、ジャケットや装丁なんかを考えて残したかった。
ふたつ目は、ライブをやる機会があれば、いつかは長野のネオンホールでライブをやりたかった。もうほんとに全国どこを探してもない、素晴らしい場所だから。

東京でライブをやろうという話も持ち上がっていたときに、ぼくがいままで積もり積もっていた不満が爆発して友人2人にブチ切れて、もうバンドとかやめよう、というかもう会いたくない、と2人との縁を切った。音を出すだけで楽しかったのに、楽しくなくなっていたし、「なにかおもしろいことをやろう」と言って始めたことなのに何故ぼくはこんな苛立ちながらやらなくてはならないのか、ということにも腹が立って、元も子もないけれども、バンドはやりたくないし、なにより大切な友人2人をぼくから切ってしまった。なにをやっているんだ、と思うけれども、そのときのぼくからしたらそれが正しい行動だった。いまはそれが誤っていたと、ぼくが悪かったと思っているけれども。

そんなことがあったんですよ、とその3日後くらいにいつもの高円寺の飲み屋さんで店主さんに話をしていたときに着信があった。ネオンホールの店長さんからだった。何かと思ったら、ライブに出ませんか、という内容のメールだった。マジかよ、と思った。ぼくの夢のひとつが突然舞い込んできた、しかもネオンホールの方から。
何故ぼくがネオンホールの店長さんと連絡を交換していたか、何故ぼくがバンドをやっているのを知っていたのか、というのは、こちらはこちらで少し話が長くなるということと、こちらはこちらでかなり大切な話なので、またの機会にしたい、いずれ必ずこのことをちゃんと書きたいと思う。

びっくりだった。ネオンホールでライブができるチャンスがある。しかし、この3日前に、もうバンドなんてやめよう、二度と会いたくないと、絶交をつきつけたばかりだった。
もうほんとに情けない話だけれども、友人2人にそれぞれ電話とメールをして事情を説明した。飲み屋さんの外で長いこと電話をしたことをいまでも覚えている。
それから数日間謝り、そして説得をして、みんなライブに出てもいい、という了解を頂いた。2つ返事でネオンホールの店長さんに出ます!ありがとうございます!と即答したかったところを、ちょっと待ってもらえますか?とお返事したときのなんとも生意気だったことよ。なんで即答できなかったのかは後日お話ししてお伝えできたからよかったけれども…。

いまでもこの友人2人と付き合いが続いているのはネオンホールのおかげかもしれない。2つの意味でネオンホールには頭が上がらない。

それからライブに向けてスタジオで練習をした。演奏時間的にもう一曲欲しかった。それまでぼくが歌う曲はなかったけど、1曲くらいはぼくが歌っている曲もあってもいいのでは、という提案で、ぼくが歌う曲を作らなければならなかった。それが先に貼りつけた「good morning」という曲だ。
長かった、この曲に行き着くまで長かった。

形に残すという夢はいまだ叶わずだけれども、ネオンホールでライブができたことは、この先もずっとぼくのなかで大切な出来事として残り続けることだ。

今年の2月から始めている練習も、今日がいちばん楽しかった。この楽しい気持ちをずっと続けたい。練習してみんなを驚かせたい。ブチ切れられたくないし、ブチ切れたくない。まあ、今回はブチ切れるようなことは絶対にないけど、万が一そんなようなことが起こったときは、このときの出来事を思い返そうと思う。

明日は雨か。歩き回りたいのになあ。

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