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セカンドゴロ


春の陽気が気持ちよかった2022年03月01日(火)。お昼休みに会社から外へ出ると、春の感じが充満していてとても気持ちがよかった。もしもぼくが子どもなら縦横無尽に公園を走り回りたかったし、老人ならベンチでぼーっと風を眺めていたかったし、俳人ならば一句詠みたいところではあったが、齢30過ぎのできそこないのただの男の昼休みだったので、じぶんをどれにあてはめることもできないまま紅茶花伝のペットボトルを持ちながらただふらふらと歩いただけだ。月が変わったその日に春がチラチラとこちらを伺いながら牽制球を投げてきた。タッチ、ギリギリセーフ。まだ春は遠い。髪の毛すべて持っていかれる可能性を秘めている風が吹けば、春だ。花粉と黄砂の混じった空気を吸いながら、焼き鳥屋さんの煙がどこからか鼻腔へ届くのを感じながら、夜の冷え込みの為にセーターを中へ着込んでしまって日中汗ばんで仕方ないあの感じになったら春だ。

先週末に細野晴臣『泰安洋行』のレコードを池袋のココナッツディスクで保護。ずっと前から欲しかったなかの一枚。ずっと前、と書いてしまったけど、ちゃんと思い返すと2年と少し前に開催された細野晴臣展を観に行ってからなので、そんなにずっと前ではなかった。申し訳ない。

2019年11月に見に行ったので2年と少し前のことなのに、だいぶ昔のことのように感じる。2年前の今頃の2月、3月は神田伯山の襲名披露興行を観に行ったりしていた。これも物凄く昔のことのように感じる。
まだマスクを日常的にすることになるほんの少し前のことが、パツっと分断されて違うフォルダに記憶が収納されてしまっているからかもしれない。

弾き語り、という言葉に疑問を感じている。何故、ギターやピアノなどの楽器といっしょに歌を歌うことが弾き語りと呼ばれているのか。琵琶法師とかのフォーマットが今もそのまま現代に踏襲されているからなのか。歌を歌うことを語ると言うことに違和感を感じる。逆に、シンガーソングライターのいい和訳はないのだろうか。

とりとめる気はまったくないけどもとりとめのないことを書いてしまった。3月が幕をあけた。楽しく過ごしたい。セカンドゴロ的生活にドスンと風穴をあけたいけど、なんにもしたくない。またはなにをしてよいのかわからない。

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